November




sun mon tue wed thr fri sat
* * 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 * * *


 ヨシュアが祭司たちに、「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命じると、彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。 主はヨシュアに言われた。「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。
(ヨシュア記3章6節〜7節)

 

 イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセは、「約束の地」を目の前にして亡くなりました。偉大な指導者を失ったイスラエルの民が、どのようにしてその志を継いでカナンの地に入っていったのでしょうか。
 モーセの在命中、ヨシュアはアマレク人との戦いで活躍しましたが、この戦いではモーセの祈りの手が上がるとイスラエルは勝ち、手が下がると苦戦したと記されております。これによってヨシュアは、剣によってではなく祈りによって戦うという大切なことを教わりました。
 また、モーセがシナイ山に登り、十戒を授かった時、ヨシュアだけが許され、モーセに付いて行ったとも記されております。この時書かれた成文律法に含まれなかった多くの事は、後にヨシュアの口を通して伝えられました。
 モーセによってカナンの地に斥候として遣わされた時にも、ヨシュアは他の十人が敵を恐れてしり込みしているのを見て、カレブと共に立ち上がり、今こそカナン入りをすべきだと主張したのでした。
 このように、ヨシュアはモーセの下で少しずつ色々なことを学び、リーダーとして成長していったのでした。
 ヨシュア記にには、モーセの死後イスラエルの人々がどのようにして「約束の地」に入り、どのようにしてそこを征服したかが記されています。この征服に先駆けて、主であるヤハウェがまずモーセの後継者ヨシュアにこう告げます。
 「……今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。……わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える」(ヨシュア記1:2〜3)。
 つづいて、ヨシュアの統率のもとに結合した諸部族が、ヨルダン川西岸地域を数年のうちに着実に征服してゆく過程が描かれているのです。
 ヨルダン川は「深き河」として黒人霊歌にも歌われており、イスラエルでは最大の川なのですが、実は川幅は狭く小さな川なのです。ヘルモン山の雪解け水が川となって、北ガリラヤ地方を潤しながらガリラヤ湖に注いで行きます。上流では清冽ですが、ガリラヤ湖に注ぐあたりのベツサイダ平原では水量も増してきます。ガリラヤ湖からはヨルダンとの国境に添って死海に流れて行きます。ヘルモン山から死海まで大きく蛇行を繰り返しながら流れている為全長は約500km程あります。また、その落差は約1,000mにも及びます。
 そのヨルダン川を越えた右岸の地こそ、「乳と蜜の流れる国」と形容された約束の地カナンなのです。


ヨルダン川
(撮影:N兄)
 その当時カナンと近東地域の大部分は分裂期を迎え、不安定な状態にありました。2大帝国エジプトとヘテは、何世紀にも渡ってカナンと隣国シリアを支配下に置いていましたが、紀元前1250年頃になると、東や西、北から押し寄せる侵略者の圧迫のためにその支配が揺らぎ始めました。結局ヘテ帝国は滅ぼされ、エジプトはなんとかこの事態を切り抜けはしたものの、紀元前1220年頃メルネプタ王の治世のときに危機を迎えました。リビア人の軍勢とヘテ帝国を倒した軍勢に加わっていた「海の民」として知られる軍勢から、同時に攻撃を受けたのです。メルネプタ王は侵略者を撃退しましたが、パロはその結果を待たずに亡くなっており、その後の4人のパロは皆無能で、大きな帝国を統治できず、ついに「海の民」の侵略の波に飲まれ、エジプト帝国は衰退しカナンから撤退していきました。こうして分断された社会構成のためにカナンの政情は悪化していきました。
 

 
 そんな状態のカナンににヨシュアが率いるイスラエルの人々がカナンに乗り込んで来たのです。
 征服の道は実に長く険しいものでした。カナンの地へ東の方から侵入しようとした作戦は賢明であったようです。この地方は南方の海沿いの平野に比べると人口が少なく、防備も手薄でした。それでも、その当時の城壁を打ち破るような武器や装備を持たないイスラエルの人々にとって、堅固な城塞都市を攻めるということは、大変困難なことでありました。
 しかし、荒野の放浪時代からモーセがヨシュアに目を付け、彼に軍の指揮を任せるようにしたことが、イスラエルの人々に有利に働きました。ヨシュアは優れた軍司令官であったのです。ヨシュアは賢い戦略家であり、天性の戦術家であり、また勇敢な闘士でありました。しかも彼は同時に信望ある指導者でもあったのです。また、全てのものが神との契約によって、すなわち明確な信仰によって支配されていたことが他の遊牧民とは大きく違っている点でした。彼の指揮する軍隊は、主の名の下に一致団結しており、これがイスラエルの人々に永続的な劇的効果をもたらしたのです。


Back