November

 

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そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
(マタイによる福音書26章74節〜75節)



 

 大昔から鶏は人に夜明けの時を告げる役割を果たしてくれていました。また、鶏は草むらに卵を産み、人はそれを採って食べることを覚えました。鶏は農地で虫や雑草を突付いて食べてくれることもしました。人は鶏から長い間いろいろな恩恵を受けていたのです。
 鶏の祖先はキジの仲間のヤケイ(野鶏)だと言われています。 現在、地球上には4種のヤケイが野生しているそうです。ヤケイは種子、果実、昆虫などを食べる雑食性の野生鳥でした。約5千年前、人間は地を耕して作物を作ることを覚え、農耕生活を送るようになりました。その頃からヤケイは人間に飼いならされて、共同生活をするようになったようです。明け方になるとけたたましく鳴く事から、初めは鳴き声が時計代わりであったり、また、オス同士がよく喧嘩をすることから、鶏を戦わせて楽しんだりしていましたが、やがて肉や卵を食べることを覚え、その為に飼って育てることを考え付きました。それが養鶏の始まりです。
 鶏が東南アジアで家畜化されたのは古墳時代の少し前と考えられていますが、その後、明治維新までの千数百年の間に、西欧からの外来種の交配を受けずに成立したのが日本鶏で、17種が天然記念物に指定されています。
小池鶏、猩々(しょうじょう)地鶏、岐阜地鶏、山口県の徳地地鶏、東天紅(高知県)、唐丸(新潟県)、声良(秋田県)蓑曳(みのひき)、軍鶏、河内奴(やっこ)、薩摩(さつま)鶏、黒粕(かす)、地頭鶏、比内鶏、烏骨鶏(うこっけい)、愛玩鶏(あいがんけい)チャボ、蓑曳チャボ、鶉(うずら)チャボ、などがあるようです。
  世界的にも良く知られているのが高知県原産の尾長鶏で、「止め箱」と呼ばれる特別な箱で飼われた雄鶏の尾羽は、換羽(かんう)をせずに最高12mまで伸びるそうです。
 
     
 鶏が先か、たまごが先か・・・昔からこの問題はいろいろな議論がされてきました。たまごは鶏から産まれる、その鶏はたまごから産まれる、はてさてどちらが先なのでしょう?まあ、これはさておき、一定の寿命を持った鶏は自分が死んだあと、子孫が絶えないようにちゃんとたまごの中に生命を伝えているのです。たまごはまずメスの卵巣で卵黄が作られます。卵黄が大きくなると卵管に一つづつ入っていきます。卵白や殻はその卵管を降りてくる間に作られるのです。
 育った卵はやがて世にでてきます。産卵です。光が鶏の脳下垂体を刺激しホルモンを分泌して産卵が促されます。鶏が普通は朝に卵を産むのはその為です。鶏のヒナは羽毛が生えて産まれてきます。また、産まれてすぐ歩き出します。土の上に巣を作る野鳥達も同じですが、それは巣の周りは危険で他の動物からいつ襲われるかわからないからです。これから考えても鶏が昔は野鳥だったことが伺われます。一度に十羽も孵ったひよこを連れて庭を散歩する鶏の親子の姿は微笑ましい光景です。しかし、今では殆ど見られないのが残念ですね。

 さて聖書の箇所は、ゲツセマネの園で、逮捕されたイエスさまが、大祭司カイアファのもとに引かれていかれ、そこで裁判にかけられたという場面です。
 ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言いました。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」
 イエスさまが捕まって連れて行かれるとき、ペトロはどうなることかと心配して、見え隠れしながら、後をついていきました。ヨハネによる福音書には、大祭司と顔を通じさせている弟子がいたので、その弟子のおかげでペトロは大祭司官邸の中庭に入ることができたと記されています。この過越祭のころは、夜はだいぶ冷えてきますので、おそらくみんなは焚火をしながら、その裁判の結果を待っていた、ということでしょう。
 そこでペトロも、カイアファ官邸の中庭にもぐり込んで、そしらぬ顔をして、みんなの仲間のような顔をして火にあたっていたところ、一人の女が来て、ペトロをじっと見つめて、「あなたはあの裁判を受けているナザレのイエスと一緒にいた」と言ったので、あやうくペトロの身元がばれそうになったというわけです。
しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言いました。そして、出口の方へ出て行くと、丁度その時鶏が鳴いたのです。


  女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだしました。 ペトロは、再ぴ打ち消しました。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言いました。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」ガリラヤなまりというのが、やはりペトロたちにはあって、おそらくエルサレムの人たちは、彼がしゃべったなまりによって、ガリラヤの人間だということがわかったのだということでしょう。ガリラヤの人間なのだから、やはりお前はあの男の弟子なのだろうと言ったのです。
 すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めたのです。それは、ここで正体がばれてしまえば、当然ペトロ自身も引き立てられていって裁判にかけられるでしょう。そして死刑になるかもしれない。そういうことがペトロは恐ろしかった、すなわち、自分の命が大切だったから、結局はイエスさまを裏切ってしまったわけなのです。
 するとすぐ、鶏が再び鳴きました。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスさまが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだしました。
 実は最後の晩餐のときに、「先生を一人で死なせるというようなことは、わたしたちは決していたしません。たとえみんながつまずいたとしても、わたしはつまずきません」と言ったペトロに対し、裏切りというものを、イエスさまはすでに予見しておられ、そして尚そのペトロを赦し受け入れておられたのです。
鶏鳴教会

 現在エルサレムの町のシオンの丘には「鶏鳴教会」という教会が建っています。これはカイアファ官邸の跡ではなかったかと多くの学者たちによって考えられています。それはその発掘現場にたくさんの牢獄の跡が発見され、これだけ牢獄があるというのは、やはりそこにカイアファ官邸があったからであろうと推定されているのです。そしてその鶏鳴教会の横に、ちょうどぼろぼろと歯のこぽれ落ちたような古い崩れかかったローマ時代の階段の跡が残っています。
 イエスさまが弟子たちを連れて歩かれたその当時のエルサレムの道は、現在のエルサレムの道より、浅いところで2メートル、深いところでは10メートルぐらい下になっていて、当時のローマ時代の道は、発掘されているところを見るしかありません。 例えばキリスト教の教会が建っているところは、たいていその地下が発掘されていて、そこにローマ時代の敷石とか道とかを見ることができます。しかしここは確かにイエスさまが実際触れられ、実際歩かれた道だというところは、現在エルサレムを訪問してもほとんど見つけることができません。 その中でこの鶏鳴教会の横にある崩れかかった石の階段は、確かにイエスさまが弟子たちとお歩きになった道であることは疑う余地がないと思われます。
 ペトロはそのカイアファ官邸の中庭で、イエスさまのことを、鶏が二度鳴く前に、三回もみんなの前で否認し、裏切ったわけです。そして裁判の後、イエスさまが十字架の横棒を担わされ、ゴルゴタの丘まで歩かされたときも、ペトロをはじめとする弟子たちはどこからかながめていたのでしょうが、とうとう助けに出ることもなく、全員がイエスさまを孤独と苦悩と屈辱の中に置き去りにしたのでした。
 しかし、十字架と復活の主イエス・キリストはそのようなペトロたちを、見捨てることも見放すこともなさいませんでした。この変らぬ愛は、今私たちにも同じように注がれていると確信するものです。

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