May





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朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。
(ルカによる福音書6章13節)

 イエスはある日の夕方、弟子たちと別れて町を抜け出して一人で山に登って行かれました。そして一晩中熱心にお祈りなさっておられました。心配した弟子たちはイエスを探し回り、明け方近くになって山まで来ました。
山のふもとで弟子たちと出くわしたイエスは
 「わたしの回りにいらっしゃい。あなたたちの中から代表として12人を選ぶことにしました。その人たちを『使徒』と呼ぶことにしましょう」
とおっしゃいました。
 イエスは付き従って来る多くの弟子の中から12人を選び、特別な働きををさせようとお考えになったのです。彼らを使徒と呼び、ご自分の回りに置かれ一緒に活動するため、また悪霊を追い出すという能力をお与えになり派遣して宣教をさせるためでした。
 弟子たちはお互いに顔を見合わせ、あの人が選ばれるのだろうか?自分はどうだろうか?と思っていました。
 「呼ばれた人は出ていらっしゃい。」
「シモンとアンデレ」
シモン:イエスによって「岩」(ペテロ)という意味の名を付けられました。同じ意味のアラム語で「ケパ」とも呼ばれていました。漁師であり、アンデレの兄弟。ヨハネ、ヤコブと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にしておりました。「わたしを誰だと思うか」というイエスの質問に、まっさきに「神の子です。」と答えるほど、まっすぐな性格ですが、失敗も多かったようです。復活の主に出会った後は、教会の指導者として勇敢に活動しました。天国の鍵を持っており、後にローマ教会の指導者となります。初代ローマ教皇で、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は、彼の殉教の地に建てられています。 ネロ皇帝の迫害下にローマで逆さ十字架に掛けられ殉教したとされております。
アンデレ:ペトロの兄弟で漁師。最初は洗礼者ヨハネの弟子であり、ペテロをイエスに引き合わせたとされています。60年ごろアカイヤ(現在のギリシア)でX型の十字架に架けられて殉教したと伝えられています。

「ヤコブとヨハネ」
ヤコブ:ゼベダイの子ヤコブと呼ばれていました。ヨハネと兄弟で漁師。ヨハネ、ペテロと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にしておりました。気性が荒いことでヨハネと共にイエスから「ボアネルゲ(雷の子)」というあだ名を付けられました。弟子の中で最初の殉教者となりました。
ヨハネ:ヤコブと兄弟で漁師。最初は洗礼者ヨハネの弟子でした。ヤコブ、ペテロと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にしておりました。ヨハネ福音書では自分のことを「イエスの愛しておられた者」と呼び、ヨハネ第1の手紙では「愛」について多く教えを残してます。十字架上のイエスから、母マリヤを託され、その後マリヤを引き取ったとされています。

「フィリポ」
フィリポ:ペテロ、アンデレと同じベツサイダ出身。ナタナエルをイエスの元に連れてきました。小アジアで十字架に架けられて殉教したと伝えられています。

「バルトロマイ」
バルトロマイ:ナタナエルと呼ばれていました。フィリポに導かれてイエスに出会います。律法に通じていたようで、イエスに「本当のイスラエル人」と呼ばれました。伝承によればアルメニアで生きたまま皮をはがれて殉教したといわれています。

「トマス」
トマス:双子という意味のギリシャ語でデドモと呼ばれることもありました。「主といっしょに死のう」という忠実な気持ちを持っていましたが、自分1人だけ復活したイエスに会えなかったとき「見て、触れなければ復活を信じない」と言い、復活のイエスに諭されました。紀元52年頃にインドに渡り宣教し、殉教したと伝えられています。

「マタイ」
マタイ:レビとも呼ばれ、取税人であり裕福であったと言われています。マタイ福音書の著者と思われます。後にエルサレム教会の指導者となりました。

「アルファイの子ヤコブとタダイ」
ヤコブ:漁師のヤコブと同じ名前なので、「小ヤコブ」とも呼ばれた人です。エルサレム教会の指導者であったと思われます。62年に石殺しで殉教したのではないかという説があります。
タダイ:小ヤコブの弟で、ヤコブの子ユダ(イスカリオテのユダではありません)とも呼ばれていました。ユダの手紙の著者と思われます。

「熱心党のシモン」
シモン: ローマの支配に武力で反抗し、律法を遵守した熱心党のメンバーであったことから、こう呼ばれていました。エジプトで宣教し、のちにタダイと共にペルシアで殉教したと言われています。

「イスカリオテのユダ」
ユダ:。「イスカリオテ(イーシュ・カリッヨート)」とはヘブライ語で「カリオテの人」を意味し、カリオテとはユダヤ地方の村の名であることからその村の出身であったと思われます。使徒たちの会計係りを務めていました。ユダはイエスを十字架に架けキリストにする重要な役割を果たした人物であります。

 彼らの中には当時の社会の指導的立場の人はいませんでした。ほとんどが、イエスと同じガリラヤ地方の出身です。首都エルサレムから見ればガリラヤ人は田舎者でした。しかも無学で気性の荒い漁師ペテロやヤコブ、ローマ支配に抵抗するテロリスト熱心党員のシモン、逆にローマの手先となって同胞から多くの税金を徴収し、その一部を懐に入れて私服を肥やす徴税人マタイなど、当時は人々から忌み嫌われていたり、蔑まれていたりしていた職業の人々でした。
 彼らは野心を持っていましたから、誰が一番偉いかという議論をいつも繰り返し、イエスにたしなめられていました。ヤコブとヨハネは彼らの母と一緒に「神の国では私たちをあなたの右と左に座らせてください。」と願い、他の弟子たちの反感を買ったこともありました。
 こんな弟子たちですが、イエスはいつも傍に置いて忍耐強く教え、訓練しました。そして復活したイエスに出会い、その後に彼らに与えられた聖霊によって彼らは命を懸けて宣教する者に変えられていったのです。
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