建国者セレウコス1世は、マケドニア王国のアレクサンドロス大王の東征にはヘタイロイとして参加し、 近衛歩兵隊の司令官にまで昇進していました。セレウコス1世自身は、バビロニアの総督(サトラップ)としてバビロンに拠点を置いていましたが、
彼の勢力は弱体でありその地位は有力な将軍に脅かされていました。ディアドコイ戦争において、中心的な位置を占めていたアンティゴノス1世とエウメネスが、オリエントを舞台にして戦闘を繰り広げると、
セレウコス1世は事実上アンティゴノス1世の配下として、その陣営に加わりエウメネスと戦いました。パラエタケネの戦いと続くガビエネの戦いの結果、エウメネスは敗れ去り
アナトリアからイラン高原に至る広大な地域がアンティゴノス1世の勢力下に入ると、 バビロニアを支配するセレウコス1世は次第に疎んぜられるようになってきました。そこで
セレウコス1世は一時バビロニアを逃れてエジプトのプトレマイオス1世の下に身を寄せ、その後、彼の支援によってバビロニア総督に返り咲きました。
セレウコス1世は東部領土に目を向けました。当時アレクサンドロス帝国の東部領土ではバクトリア地方で入植ギリシア人の反乱が発生していた他、 イラン高原の総督(サトラップ)達は親アンティゴノス派によって占められていました。
紀元前305年から2年間にわたるセレウコス1世の東方遠征は成功のうちに終わりました。
一方この領土拡大の結果、当時インドで勢力を拡大していたマウリヤ朝の王チャンドラグプタの勢力範囲とセレウコス朝の勢力が接触してしまいました。
この時の軍事衝突の有無は不明でありますが、セレウコス朝はマウリヤ朝の優位を認め、ガンダーラ、ドランギアナなど国境地帯のかなりの 領域についてマウリヤ朝の支配権を容認し、代償として500頭もの象を得ました。
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そして紀元前301年、イプソスの戦いでアンティゴノス1世と戦って勝利し、アナトリア半島内陸部とシリアを制圧して権力基盤を整えました。 この時支配下に納めた地域はセレウコス朝の中核地帯となって行きます。続いてリュシマコスとも戦って勝利し、 アレクサンドロス大王が征服した領土のうちアジア部分の殆ど全てをその支配下に納めてしまいました。 この広大な領土は二分割され、ユーフラテス川より西はセレウコス1世が、東は王子アンティオコス(アンティオコス1世)が統治しました。しかし、 こうして得られた東部領土の支配は50年余りしか続かなかったのです。セレウコス1世が暗殺された後、プトレマイオス朝はシリアと キリキアの支配権を要求しまた戦争となりました(シリア戦争)。 半世紀余りの間に繰り返し起きたシリア戦争などのためにセレウコス朝の力は西方に振り向けられましたが、 これらの戦争に際して財源となった東部領土の有力者達は離反の動きを強めました。紀元前250頃、バクトリアの支配者 ディオドトス1世(グレコ・バクトリア王国)とパルティアナの支配者アンドラゴラスが相次いで自立し、 中央アジア方面におけるセレウコス朝の領土は大幅に縮小してしまいました。
さらに紀元前246年に即位したセレウコス2世カリニコスは、プトレマイオス朝との戦争に加え、 兄弟であるアンティオコス・ヒエラクスの反乱に直面しセレウコス朝の領土縮小に拍車をかけました。 |
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プトレマイオス朝は、古代エジプトのヘレニズム王朝(紀元前306年-紀元前30年)で、 アレクサンドロスの部下であったプトレマイオス(マケドニア地方出身のギリシア人)が創始しました。
首都はアレクサンドリアに置かれ、アレクサンドリアは地中海世界屈指の大都市・ヘレニズム文化の中心として栄えました。プトレマイオス朝はエジプトの伝統を取り入れて血族結婚を繰り返したので、
200年以上エジプトを支配しながらエジプト人の血が混じらず、ギリシア人の血脈を保ちました。 代々「プトレマイオス」という名前を持った王が、姉・妹・叔母・姪などにあたる「ベレニス」「アルシノエ」「クレオパトラ」
という名前を持った女王と共同統治したのです。
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こうしてギリシャ人の支配する王朝の下でヘレニズム文化が急速に広まり、アレクサンドリア、アンティオキアなどの都市はギリシャの都市に倣って建設されました。それによってギリシャ語も大きく浸透していき、ユダヤ人もギリシャ語を話すようになりました。またプトレマイオス2世はユダヤ人に寛大な立場を取り、自分の図書館にユダヤの律法書を納めたいと考えました。王の要請を受けたエルサレムの大祭司は、各部族から代表者の学者を選びアレクサンドリアに派遣しました。「律法」以外のヘブライ語やアラム語で書かれた聖書の各書も、やがてギリシャ語に翻訳され、ギリシャ語の全訳聖書が完成します。72人が翻訳に参加したという伝承から、この聖書は「七十人聖書」と呼ばれています。現代の「バイブル(聖書)」という言葉はギリシャ語の「ビブリア(書物)」から来ているのです。 |