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ついに心の中を一切打ち明けた。「わたしは母の胎内にいたときからナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、わたしの力は抜けて、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう。」
(士師記 16章 17節)


          




 サムソンはダン族の出身で、彼ももまた神様によって力を得た士師の一人です。サムソンは海岸平野とユダの山地の中間にあたるシェフラーと呼ばれる地帯のゾラという所で生まれました。ゾラ人のマノアの妻は久しく子供を持つことがなかったのですが、ある日神様のお告げで身ごもり一人の男の子を産みました。神の使いは、その子が神に捧げられた者であり、その子はペリシテ人からイスラエルを救うと告げ、その証としてその髪に一度もかみそりをあてても切ってもいけないと告げました。その子がサムソンです。
 ペリシテ人は紀元前12世紀のはじめころ小アジア南部あるいはエーゲ海方面から来た文化の進んだ民族で、パレスチナの海岸地帯を占拠して大きな勢力をふるい、イスラエル人も長らくその支配を受けていました。現存する棺からもわかるようにペリシテ人は体が大きく、またイスラエル人よりも早く鉄器を使用していたので、イスラエルは戦いの度に大変苦しめられていました。
 サムソンはそのペリシテ人と戦った剛勇な英雄です。ライオンと戦いこれを打ち殺したり、ペリシテ人の娘との婚礼の席で卑怯な手を使ったペリシテ人の町の者を30人殺したり、舅の理不尽な仕打ちを怒ってきつね300匹にたいまつを付けてペリシテ人の畑を焼いたり、同族のものに裏切られペリシテ人に渡されたがロバの顎骨で1000人を打ち殺した等、二十年間イスラエルの士師として勢力を振るいました。
 デリラとの有名な物語も、ペリシテ人との戦の逸話の一つです。

 
 サムソンは大胆にペリシテ人を悩ませ続けていましたが、女性には大変弱く、ある時ソレクの谷に住んでいたデリラという魅力的な女性を見初めました。サムソンがデリラとの恋に落ちたのを知り、数人のペリシテ人が連れ立ってデリラの所へやってきました。
 「あなたはサムソンを説きすすめて彼の大力は何処から来るのか、どうやったら彼を縛り苦しめることが出来るのか探り出しなさい。そうすれば我々は各々銀1100枚ずつあなたに差し上げましょう。」
 デリラはすぐにそれに同意したのです。デリラはサムソンにこう聞きました。
 「あなたはとても力の強い勇ましい方です。その力はどこにあるのでしょう?どうしたらあなたを縛って力をださせないようにできるのでしょう?どうぞ私にだけはこっそりお聞かせください」
女性に弱いサムソンはデリラに何回もせがまれてしょうがなく口を開きました。
 「人々がもし乾いたことのない7本の弓弦を持って私を縛るなら、私は弱くなって他の人のようになるでしょう」
 それをデリラから聞いたペリシテ人たちは乾いたことのない7本の弓弦をデリラに持ってきたので、彼女はそれをもってサムソンを縛りました。彼女はかねてペリシテ人を忍ばせておいて、サムソンに言いました。
 「サムソン大変です、ペリシテ人たちがあなたを捕らえにやってきます。」
しかしムソンはその弓弦を、あたかも亜麻糸が火にあって断たれるように難なく断ち切りました。

 
 さらに2度、デリラは巧妙にサムソンをなだめすかして、並外れた力の秘密を明らかにさせようとしましたが、サムソンは彼女の質間をはぐらかし、うその答えをしました。二度目はまだ使ったことのない新しい綱で縛られたら駄目だと、また三度目はサムソンの髪の毛7房と機織の縦糸を織り合わせて釘でそれを止めたら駄目だと答えましたが、サムソンはそのどちらも雑作もなく引き抜いてしまいました。
 しかしデリラはまだあきらめようとはしなかったのです。
 「あなたの心がわたしを隻れているのに、どうしておまえを愛すると言うことができますか。あなたはすでに3度もわたしを欺き、あなたの大力がどこにあるかをわたしに告げませんでした。」
彼女は毎日のようにその言葉をもって彼に迫り促したので、彼の魂は死ぬばかりに苦しみました。そしてとうとう真実を打ち明けて彼女に言ってしまったのです。
 「わたしの頭にはかみそりを当てたことがありません。わたしは生れた時から神に捧げられたナジルぴとだからです。もし髪をそり落されたならわたしの力は去って弱くなり、ほかの人のようになるでしょう。」
 デリラはサムソンがその心をことごとく打ち明けたのを見て、人をつかわしてペリシテ人たちを呼びました。そこで彼らは武器を持ち銀を携えて彼女の所へやってきました。デリラは白分のひざの上にサムソンを眠らせ、こっそり人を呼んで髪の毛を7房そり落させました。
 そして彼女が
 「サムソンよ、ペリシテ人があなたに迫っています。」
と言ったので、サムソンは目を覚まして言いました。
 「わたしはいつものように出て行ってからだをゆすろう。」
彼は主が自分を去られたことを知らなかったのです。そこでペリシテ人は彼を捕らえて、両眼をえぐり、ガザに引いて行って、青鋼の足かせをかけて彼を繋いでしまいました。


 こうしてサムソンは牢屋の中に閉じ込められ、臼を引かされていました。しかし、その髪の毛はそり落された後、再び伸び始めていました。
 ある日ぺりシテ人は、彼らの主神ダゴンのために盛大な祭を執り行なっていました。この神は農業神であったと考えられています(ダゴンはカナン人の言葉で穀物を意味しもとはカナン人の神でした)。ガザの市民は祝祭用の刺繍を施した亜麻布の長い着物を着て、石柱が立ち並ぷダゴンの神殿に集まり、生賛を捧げ、歌を歌い礼拝を行なって、収穫の済んだことを祝いました。この年はダゴンの加護によって厄介者サムソンを捕えることができたので感謝の気持ちもひとしおでありました。
 彼らは喜び踊って調子にのり言いました。
 「サムソンを呼んで、われわれのために戯れ事をさせよう」
彼らは獄屋からサムソンを呼び出して、彼らの前に戯れ事をさせた。彼らがサムソンを柱のあいだに立たせると、サムソンは白分の手をひいている若者に言いました。
 「わたしの手を放して、この家をささえている柱をさぐらせ、それに寄りかからせてください」
 その家には男女が満ち、ペリシテ人の将軍たちも皆そこにいました。また屋根の上には3000人ばかりの男女がいて、サムソンの戯れ事をするのを見ていました。サムソンは主に呼ばわって言いました。
 「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの2つの目の1つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください」
 そしてサムソンは、その家を支えている2つの中柱の1つを右の手に、1つを左の手1こかかえて、身をそれに寄せ
「わたしはペリシテびとと共に死のう」
と言って、力をこめて身をかがめると、家はその中にいた君たちと、すぺての民の上に倒れました。こうしてサムソンが死ぬときに殺したものは、生きているときに殺したものよりも多かったと言われています。

 
ペリシテ人とのいざこざはサムソンの死後も続き、数年後ダン族は北方に移住せざるを得なくなりました。彼らは結局カナンの最北すなわち、のちにダンと改名するライシの町のあたりに落ち着きました。イスラエルの偉大な士師の大半が世を去るころには、イスラエル人がカナンに住みついておよそ200年たっていたことになりいます。彼らはカナン人、アンモン人、モアブ人、ミデアン人などの多くの敵から故国を守り、また部族内のもめごともほとんど収めました。にもかかわらず、まだ真の意味で統一を欠いていました。それは、士師サムエルが彼らに王を与えるときを待たねばならなかったのです。


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