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ところが、父はそれを拒んで言った。「いや、分かっている。わたしの子よ、わたしには分かっている。この子も一つの民となり、大きくなるであろう。しかし、弟の方が彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるものとなる。」
(創世記 48章 19節)
ヨセフの兄弟たちが来たという噂はたちまち広がり、パロの耳にも入りました。飢饉はまだ二年を過ぎたばかり、これからまだ5年も凶作が続きます。パロはヨセフの家族を案じ「カナンから家族を呼び寄せて、エジプトに住まわせるように」とヨセフに命じました。
カナンで子供たちの帰りをいまかいまかと待っていたイスラエル(ヤコブ)は、始めイスラエルの一族をエジプトに連れて行くために戻ってきた11人の子供たちの話を聞いても本気にしませんでした。けれどもパロから贈られた立派な迎えの馬車を見てやっと納得し、荷物や家畜、そして一族を連れてエジプトへ向かいました。「ヨセフが生きていたなんて信じられないが、良かった良かった。死ぬ前にかわいい息子ヨセフにどうしても逢いたい」イスラエルはヨセフとまた逢えることで元気を取り戻しました。この時カナンを引き上げたイスラエルの一家はイスラエルと、イスラエルの11人の子供とその子供たち、合わせて67人でした。
エジプトへついたイスラエル達は、パロからナイル東部のゴシェンという土地を貰い、そこで穏やかに暮らすことが出来ました。
一方、飢饉は益々激しくなってゆきました。人々はお金がなくなると家畜と引き換えに穀物を買いました。家畜もなくなると、田畑と引き換えに買いました。こうしてエジプトは勿論の事カナンの方まで土地はパロのものとなりました。そのため飢饉が終わると、人々はパロから土地を借りて耕し、その代わりに収穫の五分の一を収めなければならなくなりました。
イスラエルがカナンを引き上げてから17年が経ちました。ヨセフは宰相として活躍し、王宮近くに住み、イスラエルと11人の子供たちはゴセンの地で暮らしていました。ゴシェンの地は、ヨセフが飢饉の間に穀物と引き換えにパロの土地として手に入れたもので、ナイル河の恵みを受けてとても地味豊かな所でした。彼らには大勢の子供が生まれ金銀や家畜も大いに増えて、少しも不自由もありませんでした。パロは一家をお客人として大切に扱いました。
ゴセンの地は現在スエズ運河のある所からエジプトに入るとっつきの所にあります。ですからエジプトにとって、そこはエジプトに攻め入ろうとする敵を防ぐ上で、最も大切な場所であったわけです。そんな大事な土地を与えたのですから、パロがどんなにヨセフを、そしてヨセフの一族イスラエル達を信用していたかが、解るようです。また、その地はエジプトの国でありながら、エジプト人と深入りする必要がない場所なのです。一家は神さまを信じ、羊を飼い、誰かに阻まれることもなく、自分たちの暮らしを営むことが出来たはずです。
イスラエルは満足でした。あとはもう安らかに眠りにつき、故郷に帰ることだけが望みでした。そこである日、ヨセフを呼んで言いました。
「わたしはもう140歳になった。間もなく死ぬであろう。ヨセフよ、もしおまえに私を大事に思う心があったら、どうか私をエジプトに葬らないでくれ。私は故郷に帰りたい。死んだら必ず遺体をカナンへ持ち帰って、先祖と同じ墓に葬ってくれ。それだけが私の願いだ。」
ヨセフは
「勿論です、お父さん。必ず言われた通りに致します」
と、答え固く約束しました。
それから間もなくイスラエルは病の床に就きました。使いのものから知らせを受けると、ヨセフは二人の子供を連れて、父の病床にすぐに駆けつけました。
ヨセフが来たことが知らされると、イスラエルはベッドの上に身を起こしました。
年のせいでかすんで見えなくなった目の前にヨセフが立つと、イスラエルはハランやカナンでの様々な出来事が浮かんでは消えて行きました。ラケルを失ったときの悲しみが、つい昨日のことのように思え、深く胸を刺しました。
イスラエルの目にヨセフの二人の息子の姿がぼんやりと映りました。
「これは誰だ」
「神様がここで私に下さった子供です」
ヨセフはマナセとエフライムの手を引いて進みよって行きました。
「ここへ、私の側へ連れて来ておくれ、二人を祝福したいから。」
ヨセフがマナセとエフライムを近寄らせると、イスラエルは二人に口づけをして抱きしめました。
「ヨセフの顔を見られようとは思わなかったのに、神様はおまえたち二人まで、私に見させて下さった」
そう言って、マナセの頭に左手を、エフライムの頭に右手を置くとヨセフと祝福して言いました。
「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、
生まれてから今日までわたしを養われた神、
すべてのわざわいからわたしをあがなわれたみ使いよ、
この子供を祝福して下さい。
またわが名と先祖アブラハムとイサクの名とが、
彼らによって唱えられますように、
また彼らが地の上に殖え広がりますように。」
その時、イスラエルが右の手をエフライムの上に置いているのを見たヨセフは不満に思いました。当時のしきたりで右の手で祝福することが長子=跡継ぎであったからです。
「父上、そうではありません。こちらが長男のマナセです。マナセの頭に右手を置いて下さい」
ヨセフは父の右手を取って、エフライムの頭からマナセの頭に移そうとしましたが、イスラエルはそれを拒んで言いました。
「解っている、ヨセフよ。わたしにはわかっているのだ。マナセもまた一つの民の先祖となり偉大な者になるであろう。しかし、弟のエフライムはもっと偉大な者となり、その子孫は多くの国民をとなるだろう。」
イスラエルが予言したとおり、エフライムの子孫は最大の部族となり、後のイスラエル王国の中心となるのです。
それから、イスラエルは残りの11人のこどもたちを呼んで、それぞれの将来を予言し、幸せを祈りました。そして、静かに息をひきとりました。
ヨセフは父の遺言どおり、イスラエルを手厚くカナンの地へ葬りました。
その後イスラエルのこどもたち、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、カド、アセルの十二人はエジプトで仲良く暮らしたということです。彼らから後のイスラエルの十二部族が生まれます。