May


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「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(マタイによる福音書6章19節〜21節)

 虫にはいろいろな種類がありますが、ミツバチを例にとって見てみましょう。ミツバチは、女王と働きバチでは同じメスになる卵から生まれながら、女王になるか働きバチになるかの運命を決める鍵があるのです。
 王台という特別室に産み付けられた一個の卵からふ化した幸運児は、全幼虫期間を通じて、王乳(ローヤルゼリー)に埋もれるような状態で、これを大量に食べて新女王に成長します。王乳は保育係の若い働きバチが体内で生合成した高栄養価、乳白色のミルクであり、下咽頭線(かいんとうせん)から分泌されます。
 一方、六角形の蜂房(ほうぼう)に生まれた卵からふ化した幼虫の餌は、初めの三日間こそ王乳に似た液体であるが、後半はハチミツと花粉が主体になり、働きバチとして育ちます。この数万匹の働きバチは、労働に明け暮れて一ヶ月の短い寿命を終えるのです。
 働きバチの役割は羽化後の日齢(日数)によって、次々に変わってゆきます。成虫になると先ず巣の掃除をします。三日経つと口からハチ乳を出して幼虫を哺育する役に回ります。羽化後二週間ぐらいになると蜜蝋を使って巣作りをしたり、巣に帰ってきた先輩(姉)から蜜を受け取って貯蔵する仕事に専念します。羽化後20日経つと巣の門衛役を、2〜3日してからは外勤に転じ、残されたわずか10日の短い命を蜜や花粉を集めて過ごします。従って、私達が見かけるのは年をとった働きバチであるのです。働きバチは短い一生の間にこんなにも沢山の仕事をこなすのです。  
 このように、小さな虫たちは、しばしば大きな働きをします。使徒12章では、ヘロデが民衆に向かって演説して大喝采を浴びている時、「するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。」(23節)とあります。集会の祈りにより、小さな虫がクリスチャンの敵を滅ぼしたのです。
 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。」(マタイ6・19)。虫は小さなものですが、少しずつ宝をだめにします。この「自分の宝」とは、たとえば「自分のいのち」と考えられます。神様と交わり、神様の栄光を拝することのできるいのちは尊いものです。ところが、私たちはこの世への心遣いや自分を愛する心にしばしば捕らわれます。それらの一つ一つは虫のように小さなもので、大したことはなさそうに思います。しかしそれは、私たちのいのちに甚大な影響を及ぼすのです。

 ではあのきれいな蝶はどうでしょう?蝶とは普段私たちが見ているひらひらと飛んでいる昆虫と思われるのが一般的ですが、本当は、卵も、イモムシである幼虫も、「蝶」なのです。蝶は卵から幼虫、蛹、成虫へと姿を変えていく完全変態(かんぜんへんたい)をする昆虫です。それぞれの成長過程での姿はそれぞれ全く異なった形をしています。 
 蝶の卵はその大きさが非常に小さいことから、なかなか見つけることが出来ませんが、庭にミカンやサンショウ、パセリ、ニンジン、三つ葉などがあればアゲハチョウやキアゲハのメスが飛んできて産卵するところを見ることが出来ます。
 成長過程の途中である「幼虫(ようちゅう)」の期間は、蝶にとってひたすら食べて大きくなるだけが目的であり、その他のよけいなものは殆どありません。その結果、蝶の幼虫は、植物をかみ砕き飲み込む大きな頭と顎、そしてそれを消化する体の二つで殆どになっています。羽がないように見えますが、実は体の中で着々と成虫になる準備をしていて、ちゃんと体内には将来羽になる組織が出来上がってきています。
 成虫になるための準備期間、十分な食物を摂った幼虫は、体を成熟させ相手を捜して子孫を残す「成虫」になるために、体の中で大工事を始めます。この期間は大幅な体の構造の変更をするため、蛹という一見死んでいるような体に変身をします。
 成虫になった蝶は、空を飛び同じ種の相手を見つけて交尾をして、子孫を残すための体をしています。そのため成熟した生殖器官の他に、空を飛ぶためと相手に自分をアピールするための大きな羽を持ち、また、相手を遠くからも見つけられる大きな目や、臭いを嗅ぐ触角が発達しているのが大きな特徴といえます。
『変身』という題名のついたカフカの短編小説があります。この小説では主人公ザムザがある日突然、大きな毒虫に変身します。この変身によってカフカは主人公の姿ではなく、むしろ人間社会の本質を描き出そうとしています。それまで一家を支えてきたサラリーマン、ザムザが毒虫に姿を変えることによって、そして毒虫の視点から自分の身近に起こる人間模様を観察することによって、以前なら見えなかったこと、隠されていたことが明るみに出されてきます。ザムザは最終的に家族からも見捨てられ死んでいくのですが、作者のカフカは一人の人間を毒虫に変身させることによって、社会が持つ冷たさや自己疎外に苦しむ現代人の孤独な姿を暴露しようとしたと言えます。
 また、子どもたちはいつの時代も変身ということに敏感です。変身ごっこをすることによって、今ある自分以上の力を出したいという欲求を満足させるわけです。確かに、誰もが変わりたいという本来的な欲求を持っています。
 イエスの弟子たちは、イエスと出会ったそのときに「すべてを捨ててイエスに従った」と記されています。イエスに出会うことにより、変わりたいという本来的な欲求を生かし、自らが変わる勇気を持てたのだと思います。私達も日常世界の隠された欺瞞を捨て、神の御心にふさわしく姿を変えていきたいと思います。