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「【賛歌。ダビデの詩。】
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ憩いの水のほとりに伴い魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎわたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろう。」
(詩編 23編1〜 6節)
詩編が作られた年代については、確かなことは分かっていません。年代さえ分かれば該当する作者を考えることもできるでしょう。聖書本文中に書かれている著者についての記しですが、これもはっきりしていないんです。たとえば「ダビデの」という言い方ですが、これにも「ダビデを作者とする」「ダビデについての」「ダビデの流儀で」などと色々な理解ができるのです。ヘブライ語本では73の詩がダビデのものとされています。
ダビデ王はサムエル記にも書かれているように、詩人であり、音楽家でもありました。サウル王とその息子であり、友人のヨナタンの死に際しても、ダビデは弔いの詩を作っています。またダビデは契約の箱の前で楽器を演奏し、また舞をしています。このことは歴代志T15章16編にも書かれています。
聖アウグスティヌスは「詩編が祈っているなら祈りなさい。詩編が呻くなら、あなたも呻きなさい。詩編が賛美するなら、あなたも賛美しなさい。詩編が望みを抱いているなら、あなたもまた望みを抱きなさい。詩編が恐れるなら、あなたも恐れなさい。そこに書かれていることはすべて、我々の鏡だからである」と述べています。詩編は何世紀にも渡ってイスラエルの民の信仰を生かし、またキリスト者の信仰をも支えてきました。「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。 」(コロサイの信徒への手紙3章16節)とパウロが述べているように、信仰者は今までも、そしてこれからも、神様への大きな賛美を表現する詩編によって信仰の心を培っていくのでしょう。