March


 


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そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
(イザヤ書 /6章 8節)



 紀元前8世紀の後半に、一人の精神的指導者がユダの国に現れ、混乱した時代を統括しました。それがイザヤです。紀元前750年以前にエルサレムで生まれたと思われます。
 信心深い父アモツは息子をイザヤ(神の救いの意味)と名付けました。その頃ユダ王国は比較的穏やかな時期であり、繁栄の時代を送っていました。アモツは裕福で、かなり広い家に住み、幼い頃より息子に教育を行いました。特に神さまがイスラエルの民と交わした契約に関する教えは熱心に教えました。またある程度大きくなると、兄弟や他の同年代の子供たちと共に、祭司から神さまの教えや数学などを学ぶようになりました。



その時の王ウジヤが亡くなると、その息子のヨタムが戴冠をしました。その戴冠式は新年の祝祭と合わせて行われることになり、イザヤは白い亜麻布の晴着をまとい、礼拝者に混じって、明け方にエルサレムの神殿の東門が開くのを待っていました。神殿の門は一年に一度この日にしか開けられず、開かれた神殿の入り口から日の光が扉の中に射し込み中央の聖所まで達しました。ヨタムは金糸で刺繍をほどこした紫色の戴冠服に身を包み、厳かな行列の先頭に立って中庭へと進みました。イザヤは天の宮の幻を前にして心を揺さぶられ、「わたしは主が高く上げられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た・・・・聖なるかな、聖なるかな万軍の主、その栄光は全地に満つ・・・」と語っています。
 そして主はイザヤに呼びかけられました。「わたしは誰を遣わそうか。誰が我々のために行くだろうか。」イザヤはこう答えました。「ここにわたしがおります。わたしをお遣わし下さい。」
今こそイザヤは神の名において語り、イスラエルの民に対して、契約の法に立ち返るように身をもって求めることが自分の使命であると悟ったのです。
 自分の贅沢な服を脱ぎ、粗布をまとい預言者として出発したイザヤは、大敵アッシリアの勢力が隣国まで迫っているのにのんびりと暮らしている富裕階級の人々を非難し、国の滅亡を予告しました。イザヤは神殿の南に広がる下町の市場に出入りし、「かつては忠信であった町、どうして遊女のようになったのか。昔は公平で満ち、正義がそのうちに宿っていたのに今は人を殺す者ばかりとなってしまった」と声を張り上げて叫びました。また宝石職人が住む裕福なフェニキア人たちのもとへいってしまった、身勝手な女たちも責めました。こうした説教を続ける傍ら数時間は主に礼拝を捧げました。
 「主よあなたはわが神、わたしはあなたを崇め、聖名をほめたたえる。あなたはさきに驚くべきみ業を行い、いにしえから定められた計画を真実をもって行われたから」



 この初期の時期にイザヤは結婚し、自分の妻となった女性を「預言者の妻」と呼びました。息子が生まれると、象徴的な意味を込めて、シャル・ヤシャプ(残りの者は帰るであろう)と名付けました。ユダの民が悔い改めず、契約を破って主の罰が下った場合、ほんの数人しか生き残らないという意味です。
 イザヤの預言活動はその後も激しく続き、ユダ王国の3人の王の治世に渡ります。そしてこのイザヤこそ、メシヤ、すなわちイスラエルの救い主の到来を預言したのであります。