すぐれた指導者だったヨシュアの死後、イスラエルの民は各部族がそれぞれの地を守って生きてゆかねばなりませんでした。かつてヨシュアが征服したカナンの先住民は、隙があればイスラエルを討とうと、虎視眈々と狙っていましたし、外にはペリシテ人、モアブ人、ミデアン人などの種族も、侵入の隙を窺っていました。
しかし、一番の敵はイスラエルの民の心の中にあったのです。自分たちの土地を獲得し、そこに落ち着き、平和に慣れた民たちは、次第に神に命じられた使命と約束を忘れていったのです。
イスラエルの民は、彼らの神、主を忘れバアルとアシュラを拝んでいました。バアルは近隣のカナン人が崇拝する神です。バアルはしばしば牛の角をつけた兜をかぶった姿に描かれています。バビロニアの叙事詩「ギルガメッシュ」では、天の雄牛が降りてきて地上で暴れ回ることが記されています。雄牛の胴体と人間の頭と翼を持った彫像が、守護霊として門口に建てられていました。古代近東では、雄牛は権力と豊饒の象徴でありました。アシュラはカナンの最高神のエルの配偶神で大母神です。カナン人は多神教で、数多くの男神、女神を持ち、それらを崇めるために、性的な儀式が含まれていました。
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バアルとアシュラ
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これらの崇拝は禁欲的なモーセの戒めとは著しく違い、イスラエルの神の教えを守り続けた人々との間に衝突が生まれたのは必然的なことでした。そうなれば、周りの民族がそれを放っておくわけがありません。侵入と攻防を繰り返す毎日でした。
そんなバラバラになった民を一つにまとめ、神との契約を守らせ、導くために神が選んだのが「師士」だったのです。師士は神の命じたことを行うカリスマ的指導者であったと言えるでしょう。 オトニエル、エフド、シャムガル等の師士の活躍が旧約聖書に記されています。
形成期のイスラエルを統率し、危機を切り抜ける際に大きな役割を果たした、こうした師士たちは、生まれながらにして統率力が備わっていたわけではありませんでした。デボラもただの女預言者でした。デボラはイサカル族の出で、ベテルの近くで予言活動を行っていました。民は困ったことがあるとデボラの許へ集まって、裁きを受けていました。デボラは「イスラエルの母」と呼ばれ、宗教的権威を持って正しく民を裁いていました。 |
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この頃カナン人の王はヤビンというもので、ハツォルで力を振るっていました。その結果、イスラエルの民族はガリラヤ地方の諸民族と中央山地の諸民族は分断され、双方との連絡が絶えていまったのです。これは北方諸民族にとっての非常事態で、ヤビン王の大軍を前にして孤立感を深めていきました。
そこで、デボラは神の訓示を受けて民のために立ち上がり、ナフタリ族のバラクという若者を招き、神の託宣を告げました。バラクは何の経験も無い上、急なお召しに驚き、躊躇し、デボラに同行を願います。デボラは「勝利の栄光はバラクではなく自分のものとなるでしょう」とバラクに告げると、同行を同意しました。 |
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すべてが計画通りに進み、デボラとバラクはタボル山に一万のイスラエル人と共に陣を敷きました。山地への布陣が、大軍のカナン人のしかも戦車攻撃に対して、防御上大変有利になりました。イスラエル民族はゼブルンとナフタリだけでなく、エフライム、ベニヤミン、マナセの諸部族までもが集結したと記されています。
敵の将軍シセラはタボル山の南方平原を横切るキション川へと進軍してきました。デボラは時を逃さず、豪雨と共に進軍の合図を送りました。水かさの上がった川はついに堤防を越え、戦場はぬかるみと化しました。この地方のこのような豪雨は珍しく敵の予想外で、戦車は泥にはまって操縦不能になり、敵の将軍自ら、戦車を降りて逃げたということでした。
バラクは退却するカナン人を追撃し、シセラの軍勢は全てイスラエルの剣に倒れ、1人も残らなかったと聖書にも記されています。 |
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一方、将軍シセラはガリラヤ湖の方向、東に向かって逃走し、カイン人へベルの宿営に辿り着きます。ハツォルの王ヤビンとカイン人へベルはその当時友好関係にあり、へベルの妻ヤエルは彼を天幕に招き入れ、渇いていたシセラに皮袋からミルクを飲ませると、掛け物で彼を覆い隠しました。イスラエル人の追跡を恐れたシセラは、ヤエルに天幕の入り口で番をしてここに誰かいるか尋ねる者がいたら「中には誰もいない」と答えるように頼みました。そしてシセラは自分は安全だと思いつつ眠りに落ちました。しかし、へベルの妻ヤエルは天幕の釘を取ると、槌を手に彼に忍び寄り、シセラのこめかみ目掛けて打ち込みました。そこへバラクの軍勢がシセラを追ってやってきました。ヤエルがバラクを天幕に案内すると、そこにはこめかみに釘を刺したままシセラが倒れて死んでいました。、こうしてカナンの王ヤビンの軍はイスラエル人の前に屈服し、その後はついにヤビンを滅ぼすことになるのです。 |
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タボル山付近のこの戦闘は、イスラエル人がカナン人の屈強な戦車に敢然と立ち向かった最初の戦いでした。この時点まではカナンの戦車隊との直接対決を避けてきたからです。イスラエル軍の装備は依然貧弱であり、通常の兵器は剣と投石器でした。そんな状況での勝利は当然深い印象をイスラエルの人々に与え、彼らはデボラやヤエルを英雄的女性として賞賛するようになりました。
デボラは勝利の歌を歌います。それは主を讃美し、戦闘召集に始まり、次に召集に応じた部族を列挙し、また傍観を決めた部族を非難しています。戦闘の際には天の星さえも味方について戦い、その戦闘描写に続いて、ヤエルに祝福が与えられその英雄的行為が劇的に歌われています。その詩は、シセラの母が息子と戦利品の帰還を空しく待ちわびている様子を描写して終わっています。このデボラの歌は、最も古いヘブライ詩の一つと言われています。
聖書ではデボラの物語は、この戦闘の後四十年の間イスラエルは平穏であったと締めくくられています。 |
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