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アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
(創世記3章4〜5節)
初めての人、アダムは妻をエバと名付けました。エバは全ての人のお母さんになったのです。エバはカインを生み「神が私に男の子を下さった」と言いました。またしばらくしてまた男の子を儲けアベルと名付けました。二人はすくすくと育ち、カインは農夫に、アベルは羊飼いになりました。
ある日カインは自分の作った作物を神に供えました。また、アベルは良く肥えた子羊を供えました。神はアベルとその供え物を喜ばれましたが、カインとその供え物は喜ばれませんでした。カインは怒って顔を下に向けました。それを見た神は「カインよおまえはなぜ怒っているのか。なぜ顔を下に向けているのか?」と言われましたが、カインは黙っていました。
これは有名なカインのアベル殺しの一場面です。農耕者の祖のカインは、牧羊者のアベルのささげものだけが神に嘉納されて、自分と自分のささげものが神に顧みられないのに、深い不満をもったからです。この農耕者と牧羊者の対立は、古くから根深いものがあったらしく、紀元前2000年代の人類最古の文献の中にも<農牧のはじまり>とか<ドウムジ(牧羊神)とエンキムドウ(農耕神)の争い>といったシュメル時代の作が残っています。それは最初農耕によって開けたシュメルの地に、牧羊者であるセム系の人々が侵入してきて、しだいに前者を征服した歴史を、何ほどか反映するものなのでしょう。ヘブライ民族もセム族に属して、牧羊者であり、その神エホバ(ヤーヴェ)も明らかにそういう刻印をもっています。だからアベルのささげた小羊を嘉納して、農耕者カインとそのささげものをしりぞけたのでしょう。これはえこひいきというもので、カィンが腹を立てたのも無理はないのではないでしょうか。
彼は弟を野へ連れ出して打ち殺しました。そして主から弟の行方をたずねられると、「知りません、私は弟の番人ではありませんから」と反抗的に答えました。主は「お前の弟の血が土の中から私に向かって叫んでいるではないか」と言って、「お前が土を耕したとて、もはやお前のために土は実を結ばない。お前はこの土地を去って、地上の放浪者になるのだ」とカインを呪われました。カインは神に「私の罰は重く、私には背負いきれません。私はこの土地から追い出され宿無しになります。私を見たものは誰でも私を殺すでしょう。」と言いました。
そこで神は彼に一つのしるしをつけて追放されました。このしるしは、やはりカインも主の庇護の許にあることを示すもので、「カインを殺す者は七倍の復讐を受けるであろう」とも主は言っています。その後、カインは神の前を去って、エデンの東、ノドという土地に住みました。ノドで妻を娶りエノクという息子を儲けました。住んでいた町に息子の名まえを付け、その子孫は天幕に住み家畜を飼い、竪琴をかき鳴らしたり笛を吹いたりする民族となっていきました。
このアベル殺し、それに続く、しるしをつけてのカインの追放は、古くから人の注意をひき、さまざまな論議をよび起こしました。私達は、こういうカインの子孫にあたるわけですから、彼の運命が気になるのだと思います。作家、有島武郎も『カインの末喬』という、北海道の荒野で妻とささやかな自立の夢を描きながら、粗暴さで村人から嫌われる仁右衛門を主人公とし、北海道の寒さと、農耕者として生きていく辛苦と、村人に頼らなければ生きていけない狭い農村社会を風刺した作品を書いています。