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「『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしくわたしをあがめている。』 」
(マタイによる福音書 15章8〜 9節)
イエスと弟子たちが食事をしているとき、弟子たちの中に手を洗わないで食べ始めた人がおりました。それを見た、ファリサイ派の人たちと律法学者は眉をひそめました。ユダヤ人の習慣では、食事の前に手を洗うことは当たり前のことでしたし、仕事場や市場などから帰った時などは、体じゅう清めてからでないと食事をしてはいけないと言われておりました。その他にも生活のあらゆる場面において、必ず守らなければいけないしきたりがたくさんありました。ファリサイ派や律法学者といわれる人たちはそのしきたりを誰よりも良く正しく守っており、それをいつも自慢していたのでした。
ですから、弟子たちの様子を見て、すかさずこうイエスに言いました。
「あなたの弟子たちは、昔からのきまりをどうして守らないのでしょう?あんな汚れたままの手でパンを食べているとは、卑しむべきことです。」
イエスは、形式的なことばかりを守ってそれを鼻にかけて、神さまへの信仰をなおざりにしている彼らを嘆き、こうおっしゃいました。
「神さまは、モーセの十戒によって、両親を大切にしなさいと教えられているのに、あなたがたは『両親の世話をするために必要な生活費はすべて神さまへの捧げものになりました』と言えば、両親をの世話をしなくても良いと教えて、責任逃れをしていますね。このように言い伝えやきまりを都合良く利用して、神さまの教えを間違ったものにしているのです。あなたがたは、きまりを守ってさえいれば神さまを第一にしていると思っていますが、それはおかしいと思いませんか?」
このようにとても厳しく批判されました。そして回りの人々を呼び集めて、本当に人を汚すものが何かをお話になりました。
「外側から入って人を汚すものはありません。人から出てくるものが人を汚すのです。」
この難しいたとえに、弟子たちでさえ意味が分かりませんでした。イエスは改めてわかり易くお教えになりました。
「外側から入ってくるものとは、私たちが口にする食物のことです。食べ物は心には入らず、お腹の中に入ってくだかれ、やがて外に出ていきます。しかし、人の心から出るものが、人を汚すのです。悪い考え、無作法、盗み、殺し、不道徳、欲張り、ねたみ、争いなどは、誰でも心の中に持っているもので、これが人の内側から出て、他の人を傷つけ汚すのです。」
形式的に先祖からの言い伝えやきまり、しきたりを守ればいいというものではありません。それを誰よりも守っているというおごりが人の心から出て他の人を傷つけ汚すのです。神さまは、うわべだけではなく、人の心の中を大切になさるのです。