Jun














sun mon tue wed thu fri sat
* * * * * 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30


 楽を奏する者が演奏をすると、主の御手がエリシャに臨み、彼は言った。「主はこう言われる。『この涸れ谷に次々と堀を造りなさい。』主がこう言われるからである。『風もなく、雨もないのに、この涸れ谷に水が溢れ、あなたたちは家畜や荷役の動物たちと共にそれを飲む。』
(列王記下記3章15節後半〜17節 )




 エリシャは紀元前9世紀に、ガリラヤ湖の南にあるヨルダンの渓谷で、裕福な農家の息子として生まれました。成長したエリシャが預言者エリヤに見出されたのは、くびきにつないだ一対の牛を使って畑を耕していた時でした。その後エリシャはエリヤの従者として仕えました。
 エリヤが天に上げられてからエリシャは新しい指導者として同胞たちに囲まれて過ごしました。王妃イザベルの迫害によって弱められていた信仰者たちも、エリシャの指導によって偶像礼拝に反対するものが増えてきました。
 その頃イスラエルは死海東方の小さな属国であるモアブの反乱を鎮圧するために派兵しました。アラブとイザベルの子、ヨラム王がその討伐軍を率い、首都サマリアから死海西岸に面した長い迂回路を通り、モアブ南部の国境から攻め込もうとしました。ユダ王国のヨシャパテの軍やエドムの軍も仲間に加わり大軍となりましたが、砂漠化した地域で兵も馬も渇きで弱りきり、進退不可能になってしまいました。
 王たちは軍の中にエリシャがいるのを知り、彼に助力を求めました。エリシャはヨラム王の両親の悪徳を責めましたが、ユダの王の名に掛けて祈り始めました。そして谷に堀を掘らせ、神さまからの言葉として「あなたがたは風も雨も見ないのに、この谷に水が満ちるであろう」と予言しました。
 あくる朝川は奔流となって水が満ち溢れ、膨大な数の討伐軍の兵士たちは元気を取り戻し、悲劇を免れたました。遠く離れた国境にいたモアブ軍は、赤い砂岩の上をしぶきを上げて奔流する水を見て、三人の王たちが同士討ちを始めたのだと思い、愚かにも討って出て、一人残らず殺されてしまったのです。
 イスラエルに戻ったエリシャは布教を再開し、ゲハジという僕が引くろばに乗り地方の隅々まで旅をしていました。ある所で信心深い夫を失い借金を抱え悲嘆に沈む寡婦に話し掛けられました。彼女の二人の息子たちは債権者の奴隷とされようとしており、しかも全くお金がなく、壺にオリーブ油が少しあるだけでした。エリシャは彼女に近所から器を出来るだけ沢山借りてきて、そこに油を注ぐように指示しました。すると驚いたことに全部の器がいっぱいになるまで油は尽きることがなく、彼女とその息子たちは、油を売ったお金で生活していくことが出来るようになりました。



 エリシャはシュネムという村で、裕福な夫婦と知り合い親しくなりました。彼らは敬愛する預言者のために部屋と家具を整えてくれました。彼らには子供がなく、婦人が子供を欲しがっているのを知ったエリシャは「翌年には子供を抱いているだろう」と予言しました。二人ともこの言葉を信じませんでしたが、この婦人は身ごもり、翌年に男の子を産みました。
 数年たって大切に育てられたこの男の子は、畑で父の手伝いをしている時に日射病にかかり、母親に抱きかかえられて息を引き取りました。半狂乱になった母親はエリシャに助けを求めようと、彼を捜す旅に出ました。それを聞いたエリシャはすぐに僕ゲハジに自分の杖を持たせ子供の所へ急がせましたが、子供の顔に杖を置いても生き返りませんでした。エリシャは急いで母親と一緒にシュケムに戻り、戸を閉じて横たわっている子供を前に祈り続けました。そして子供の上に伏し、子供の口に自分の口を、目には目を、手には手を重ねて屈み込むと、子供は暖かくなり七回くしゃみをし、目を開けました。婦人は大喜びをして子供を抱きかかえ、エリシャに感謝の礼を何度もしました。
 こうしてエリシャは、エリヤほど際立った存在ではありませんでしたが、優しい心と数々の奇跡によって人々の心を掴んでいきました。エリシャはイスラエルの人々の毎日の問題に心を砕き、さらに政治的、軍事的な事件にも関わりを持つようになっていきます。

 Back