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主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。
(創世記12章7節〜9節)


 パベルの塔の放棄ののちにも、セムの子孫はカルデヤ(のちのパビロニア)地方にいたようです。彼の7〜8代あとのテラは、世界最古の町の一つであるウルに住んで、アブラム、ナホル、ハランの三人の子をもうけました。ウルという町は、メソポタミア文明の最も栄えた都市で、20世紀の発掘調査によって、その時代の豊かな出土品が数多く発見され、高度な文化の存在を立証しています。ハランはその地で息子口トを残して早世してしまいました。
 テラは息子のアブラムとその妻サライ、孫の口トをつれてウルを出て、しばらくユーフラテス川上流ハランにとどまったのですが、この地で205歳で死にました。

 


カナンの地

 主がアブラムにその地を去るように命じられたのは、その時のことです。これは紀元前1700年ごろのこととされています。アブラムは妻サライと、甥の口トをつれて、カナンの地をめざしました。カナンの国のほぼ中央にあるシケムという町にたどりついたアブラムに主はご自身を現わされたのです。「私はあなたの子孫にこの土地を与える」と言われました。アブラムは彼に現われた主への感謝と約束のしるしに、初めてここに祭壇を築きました。族長たちの築いた祭壇はそれから後の時代において、イスラエルの主要な聖なる町として栄えていくのです。シケムとは「樫の木の廃墟」の意味があります。古代にはこの樫の木は、その荘厳な樹姿のために神聖視されていたのです、また、このシケムはカナンの中心部になり、国を治めていく上でも重要な役割を果たしていくのです。聖書ではこのシケムを「地のヘソ」とも呼んでいます。アブラムはなおその地より南に進み、ベテルに祭壇を建てます。

 
 その後もアブラムは旅を続け、やがてネゲブに着きます。ネゲブはイスラエルの南部地方を指します。年間降水量が100〜300mmしかない乾燥した地域で、昔から今に至まで遊牧民が転々と移り住んでいます。乾燥した気候と塩分質の土壌のために、限られた植物しか育たない所で、アカシアの木やギョウリュウの木などの名が聖書に記されているのみです。
 そのネゲブ地が飢饉に襲われたので、彼は一時エジプトに逃れました。
そこでは美しい妻サライのために悶着が起こったため、彼はふたたび自分が先に祭壇を築いた場所カナンの地にもどっていきました。この頃にはアブラムの一族は、多くの民、たくさんの家畜、財産を持ち、とても豊かだったようです。



  しかし、この地は狭いため、アブラムと口トの一族、家畜をすべて養うことはできず、身内の間で争いが起こったのです。アブラムはある日ロトを誘って小高い丘に登りました。そしてロトにこう言いました。「身内の間に争いが起こるのはまずいから、別れることにしよう。お前が右へ行けば、私は左へ行く。お前の好きな方に行くがいい」そう言ってロトに先に選ばせると、口トは富み栄えていたヨルダンの低地に移り、死海のほとりにあったソドムの町に住んだのです。アブラムは山地のヘブロンに移って、その地に祭壇を築きました。
 聖書で語られるイスラエル民族の父アブラムの物語は、彼の人生の行路のさまざまな逸話を集めたものです。その目的は、イスラエルの起源を辿り、確かめることにあると思われます。さらにそれは、単にアブラムとその家族の物語ではなく、これから自分達の独自性を確立しようとする新しい宗教と社会の始まりを明らかにするためのものなのでしょう。
 その時代から長い年月を経、何時までも語り伝えられてきたのが神と私たち人類との約束「見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える」(創世記13:15)なのです。

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