July




sun mon tue wed thu fri sat
* 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 * * *
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた
(マタイによる福音書 16章15〜 16節)

 イエスと弟子たちがフィリポ・カイサリアというパレスチナの北の端にある小さな村に向かう道の途中のことです。イエスは弟子たちに
 「人々は私のことを誰だと言っていますか」
とお聞きになりました。
 すると、弟子たちは口々に答えました。
 「洗礼者ヨハネがよみがえったと言っています。」
、「預言者エリヤだの生まれ変わりだと言う人もいますよ。」
 「エレミヤだとか、また預言者の一人に違いないと言う人もいます。」
 弟子たちは何だか得意そうに答えておりました。自分たちが側でお仕えしているイエスが、このように名だたる預言者たちと並び称さるということにとても満足したのでしょう。弟子たちでさえそんな風でしたからまして人々は、なおさらです。イエスの不思議な御業を見た人々は皆、やはりイエスは普通の人ではない、特別な人だと気が付いていました。けれどもイエスが本当はどういう方が分かっている人はどこにもいませんでした。そして今までに現れた偉大な預言者たちに置き変えていろいろ想像しては勝手なことを言っていたのです。
 ではイエスもそのような人々の評判が気になさったということなのでしょうか、そうではありませんでした。イエスがお知りになりたいのは人々の評判ではなく、人々の理解だったのです。
 イエスに対する理解が間違っていれば、イエスと正しい関係も結ぶことはできませんし、イエスと正しい関係を結ぶことができなければ、神さまと正しい関係を結ぶことができません。神さまと正しい関係を結ぶことができなければ、神さまの御心がその人に届きません。その結果、その人の生き方は的はずれなものになってしまうからです。 


 
 そこでイエスは、今度は弟子たちに向かってお聞きになりました。
 「それでは、あなたがたはわたしを誰だと思いますか。」
 弟子たちは顔を見合わせました。 「あなたはどう思うのか」と聞かれて、先ほどまで「あの人はこう言っている」「この人はこう言っている」と賑やかだった弟子たちはハッとして静まりかえってしまいました。いつも一緒に行動している弟子たちでさえ、何と答えたらいいのかわからなかったのです。
 その時ペトロが沈黙を破り、真っ先に口を開いて答えました。
 「あなたはメシア、生ける神の御子キリストです」
イエスはペテロのこの答に満足なさいました。ペテロがイエスが神さまから遣わされたキリスト=救い主だと告白したからです。
 「メシア」というのは、ヘブライ語で「油注がれた者」という意味です。ギリシャ語に訳されると「キリスト」になるのです。「キリスト」というのはイエスのお名前ではありません。旧約時代のイスラエルでは、王様、祭司、預言者など、神さまが選んだ人というしるしとして頭の上から油が注がれました。そこから「メシア」、つまり「キリスト」は、神さまから遣われる救い主を意味するようになりました。



  「ペテロ、あなたは幸いです。あなたにこのような信仰をお与えになられたのは、天にいらっしゃるわたしの父です。」
ペテロはイエスが神さまを「父」と呼び、いつでも父なる神さまのお教えに耳を傾け、従っておられることを知っていました。また、イエスと一緒に生活し、毎日イエスのお話を聞き、その御業を見ているうちに、この方こそ本当の救い主に違いないと理解するようになってきたのです。
イエスは
「あなたはペテロ(岩という意味)です。私はこの岩の上に教会を建てましょう」
とおしゃいました。
最初に「イエス様がキリスト(メシア)です」と言ったのが、ペトロなのです。本当に素晴らしい、歴史的な信仰告白がここでなされたのでした。私たちは、このペトロの信仰告白に声を合わせ、心を合わせて、「イエス様がキリストです」ということを告白しながら生きていきたいと思うものです。
 



BACK