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イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
(ルカによる福音書5章31節〜32節)
ある日、ガリラヤに向かう道をベツサイダ出身のピリポという人が歩
いていました。そこを通りかかったイエスがピリポに、
「あなたはピリポですね。」
と声を掛けました。ピリポはイエスの噂は聞いていたので、直ぐにわかりましたが、まさか自分の名前を呼ばれるとは思ってもみなかったので、非常に驚きました。
「わたしについていらっしゃい。」
どうしようかと考える間もなく、ピリポはイエスに従う決心をして、付いて行きました。
ピリポはすぐに、友人のナタナエルのところへ、イエスの弟子になったことを知らせに行きました。勉強家で聖書のことをよく知っているナタナエルは、「ナザレのような田舎から、そんな偉い人が出るものか!」とちょっと馬鹿にした様子で言いました。ピリポはなんとかしてナタナエルを
イエスに会わせたいと考えました。イエスに会えばナタナエルの気持ちが変わると思ったからです。ピリポに急かされて、ナタナエルはしぶしぶ付いて行きました。イエスの周りには大勢の人が集まっていましたが、ナタナエルが来るのをご覧になったイエスは、
「ごらんなさい、あの人こそ本当のイスラエル人です。あの人の心には偽りがありません」
と皆におっしゃいました。
一度も会ったことのないイエスがどうして自分のことを御存じなのか不思議に思ったナタナエルはイエスに聞きました。すると
「ピリポは呼びに行く前からあなたがいちじくの木の下にいるのを知っていましたよ」
とイエスは言いました。もう疑うことは出来ません、ナタナエルは深く頭を下げると言いました。
「先生、あなたは神の子です。イエスラエルの王になられる方です。」
また、この町にはマタイという徴税人がいました。当時ユダヤはローマ帝国に支配されていました。ローマ政府は帝国内に徴税制度を敷き、ユダヤにもその制度が確立されていました。その内容は直接税と間接税とに別れていました。直接税は帝国の税務官吏によって生産者から生産の20%から25%にかけて現物で取り立てられていました。一方の間接税は関税に似た税制で、橋や川の渡し場、大通りの街角や町の入口、市場などで徴収されていました。取り立てる人は、ローマの地方州税官の監督の下で請け負っていた徴税集団でした。この請負徴税集団はローマ政府が査定した税額を徴収していましたが、取立てに当たってはあらゆる不正が可能であり、相当の利幅を取って徴収し各々私腹を肥やしていました。そのために徴税人は一般に人々から憎まれ軽蔑され泥棒のように思われていました。また、特にユダヤ人からは、ユダヤを支配するローマ帝国のために働いている人という理由で、そして、異教徒と接触して汚れを受けている人という理由で罪人あるいは卑しむべき人として嫌われていました。マタイ(アルファイの子レビ)もけっこうな暮らし向きだったようで、彼がイエスと出会ったときには彼の家で大宴会が行われたことが聖書に記録されています。
イエスはそんなマタイにまで「わたしついてきなさい」と声を掛けたのです。人々からさげすまれていたと思われるマタイはどんなに驚いたことでしょう。マタイはすぐに立ち上がり、イエスについて行きました。
マタイは主への感謝のために多くの人を招いて宴会を開きますが、ファリサイ派の人々から
「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
と言われてしまいます。イエスは、
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人なのです。 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』と聖書に書いてありますが、それはどういう意味なのか、帰って学んで来なさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人と蔑まれ虐げられている人を招くためである。」
と言われます。
改心後のマタイは、イエスとともに過ごし、その後、十二使徒とともにキリストの証人となり、ユダヤで福音をの述べ伝えた後に、福音書を著したと言われています。