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象たちを各密集部隊に配置し、鎖の胸当てを着け、銅の兜をかぶった千人の兵士をそれぞれの象に割り当て、更にまた選ばれた五百人の騎兵をそれぞれの象に配した。
(マカバイ記第一6章35節)
※マカバイ記は旧約聖書続編になります


 アンティオコス4世の幼い後継者の国王代理として権力を行使したのが、親族のリシュアスでした。彼は外国人の傭兵による大軍を組織し、戦い慣れた32頭の象からなる一隊も引き連れてエルサレムの南西でユダの軍と対戦しました。象たちにぶどう酒とくわの実の汁を飲ませて興奮させ、鎖帷子の武具をつけえり抜きの戦士を乗せユダヤ陣営を突き破って行きました。象の猛烈な突進でユダヤ軍は総崩れとなり、われ先に逃げ出しました。しかし、シリアに政変が起こり、リシュアスは急遽シリアに戻らなければならず、ユダヤに停戦を申し出ました。講和の協議で「ユダヤ人の宗教の自由を認めること」「政治的な独立を与えること」が問題になりましたが、リシュアスは後者を撤回するなら前者を受け入れることを提案し、ユダヤ側はそれを受諾したのです。
 しかし、ギリシャ主義者とユダヤの対立は継続しており、いくつもの内戦が勃発しておりました。ギリシャ主義者がユダヤ人を脅かすと、ユダたちはゲリラ的軍事行動に出ました。まず問題が起こった地域のユダヤ人を解放すると、ギリシャ主義者と非ユダヤ人の男子をことごとく殺害し、家に火を放ったのです。こうして多くの町々のユダヤ人達が、虐待から救われたと言うことです。ユダとそのゲリラ部隊は活動を始めてからかなりの成果を挙げていましたが、シリア人を完全に排撃するには強力な同盟者が必要だと考えました。そこで目をつけたのがローマです。ローマ人の愛国心と武勇の心と禁欲的な生活を称賛し、とりわけギリシャ人を嫌っている点を評価していました。ユダは長く危険な旅を承知で少数の代表をローマへ送りました。
 紀元前161年に、代表はローマの議会とユダヤ人民との間の友好協約を携えて戻ってきました。しかし軍事援助までは約束出来ませんでした。シリアはユダとユダヤ人のゲリラ攻撃に対し、作戦を練ってついに裏をかくことに成功しました。ユダは敵に包囲されながらもわずか数百の忠実な仲間と共に、果敢に戦って戦死しました。イスラエルにとっては、破滅的なときでした。ユダが死ぬと、ギリシャ主義者たちが再び権力を掌握し、ユダの軍の敗残兵はエルサレム南東の荒涼たる地域へと逃げ隠れました。
 

 


 しかし、紀元前143年ヨナタンはついにシリアの仕掛けた罠にはまり捕らえられてしまいました。ユダヤは次の指導者の手に委ねられることになってしまったのでした。

 

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