July






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主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
(サムエル記上 3章 10節)


 エルサレムから北上すると、エフライムの山地に、聖所シロの遺跡があります。シロはべテルとシケムの中間にあり、エルサレムが都になる以前は、ここに主の幕屋が張られ、そこに契約の箱が安置されていました。ヨシュアの時代にギルガルからシロに契約の箱が移動し、ここが民の集会所としても用いられ、戦いの際にもこの町から出陣したとヨシュア記にも記されています。それ以来、全国で最も神聖な場所として崇敬を集め、毎年シロでは秋にその年の収穫を祝い、シナイ荒野で結ばれた主との契約を記念して「仮庵の祭り」が行われていたのです。 屋外の木の枝で造られた小屋で、人々は1週間生活し、昼間は収穫物を取り入れ、夜は遅くまでご馳走を食べたり、音楽や踊りを楽しんだりして儀式を行いました。

 

 毎年秋の収穫祭に、ラマのエルカナという男は妻を伴って、生贄を捧げるためにシロにやって来ました。エルカナには二人の妻があり、一人はハンナ、もう一人はベニエと言いました。ベニエには子供がありましたが、ハンナは子供がいませんでした。ハンナは子供のいないことを嘆き悲しみました。彼女はシロの神殿に行って神様の前で必死に祈りました。その祈りがあまりにも熱心で心の中で祈っていたので、祭司のエリは彼女が酒に酔っているのだと思った程です。ハンナは「どうぞ、私の願いを叶えて下さい。もし男の子を授けて下さったならば、その子の一生を、主にお捧げします。」と祈っていたのです。
 主はその祈りを御心に留められ、ハンナは息子を授かりました。子供はサムエル(その名は神)と名づけられました。
 子供が乳離れするとすぐに、ハンナはかねてからの誓いどおりに、その子をシロの主の宮に携えて行き、大祭司エリの手に委ねました。子供はナジル人としての教育を受け、神に生涯を捧げて仕えることを誓いました。この誓いの証として、彼は頭髪を切らず、ひげを剃らず酒を口にしませんでした。
 サムエルはこうしてこの聖所で神にも人々にも愛され、預言者として成長して行きました。それと同時に、シロの腐敗と退廃に浸りきった祭司たちの姿もつぶさに見て来ました。特に大祭司エリの息子ホフニとピネハスは悪い行いばかりしていました。エリ自身は立派な預言者でしたが、老齢のために殆ど目が見えず、息子たちの恥ずべき行為の処罰が出来ませんでした。こうして祭司たちの道義が地に堕ちたことを彼は痛感し、今後のサムエルの生き方に深い影響を及ぼすことになります。
 また、サムエルが主を見、預言者としての使命に一生を捧げる決心を固めたのも、このシロの地に於いてでした。
 ある晩、サムエルが祈りを捧げ眠ろうとしていると、自分の名を呼ぶ声が聞こえました。エリに呼ばれたと思ったサムエルは、「はいここにおります」と答え、用事を伺う為にエリの部屋へ走って行きました。 エリは「私は呼んでいない」と、驚いて答え「帰ってお休みなさい」と言いました。
 そこでサムエルが寝床に戻ると、再び先ほどの声が自分の名前を呼ぶのを聞きました。彼はまたエリのところへ飛んで行きましたが、同じように「戻りなさい」と言われました。
 しかし、3度同じ呼ぶ声を聞いてエリのもとへ行った時、この年老いた祭司は、この子は神様に呼ばれたのだと悟りました。
 「行って寝なさい。もしまたあなたを呼ぶ声がしたら『主よ、お話ください。僕は聞いております』と言いなさい」とエリは諭しました。サムエルは部屋戻って休みました。
 サムエルがその声を4度目に聞いたときに、エリに教えられたとおりに答えると、主は次のように言われました。 
 「見なさい、わたしはイスラエルのうちに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両方の耳が鳴るであろう。その日には私がかつてエリの家について話したことを、始めから終わりまでことごとく、エリに行うであろう。わたしはエリに、神を汚した息子達を咎めなかった罰として、その家を永久に裁くことを告げる。」
 こうして、祭司としてのエリの運命がサムエルに明らかにされたことで、サムエルは自分がイスラエルの民に神の意思を伝えるために選ばれたことを知りました。
 サムエルはシロで神の声を聞いてから間もなく、ペリシテ人とイスラエル人は雌雄を決する戦いをエベネゼルにおいて行いました。戦いの第一日が暮れたとき、イスラエルはすでに惨敗を喫していました。そこで取り乱した指揮官たちは、シロに使いを送り、兵士の士気を鼓舞するために「契約の箱」を持って来させました。箱はエリの二人の息子によってイスラエルの野営地に運ばれました。再び戦闘に加わろうとしていたイスラエルの兵士たちは、その箱を見て大歓声を上げました。初めペリシテ人たちは「契約の箱」が持ち込まれたことを知って恐れましたが、次第に士気を回復し、ついにはイスラエル人に手ひどい打撃を与えました。エリの二人の息子は戦死し、「契約の箱」までもが敵の手に渡ってしまったのです。
 心配し続けていたエリは「契約の箱」の知らせを聞くと、城門の側にあった席からあおむけに落ち、息を引き取りました。
 しかし、この「契約の箱」はペリシテ人にとって、不幸を招く戦利品となりました。この箱が持ち込まれた至る所で、疫病が発生したのです。ペリシテ人はこの災いをもたらす箱を早く手放したく思い、木製の車に積み、傍らには疫病の象徴であるネズミと腫れ物の黄金像を積み、2頭の雌牛に引かせて送り出しました。「契約の箱」を見出したイスラエルの人々は喜び、箱を担ぎ上りキヤルト・エアリムに無事安置しました。しかしこの後20年間というものペリシテ人の侵略は繰り返され、イスラエルの人々は辛苦に満ちた意気喪失の期間を味わったのです。
 この間にサムエルはラマに戻り、主の預言者として数々のことを行いまたの裁きの力をも身につけて、「神の霊が宿る者」としてあまねく知られるようになっていました。いつも神と共にいたサムエルは、神の言葉を良く聞き、生涯イスラエルの為に裁きを行い、また彼らの為に主の祭壇を守り続けました。

 

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