January



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そのとき、主はヨシュアに言われた。「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。 あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を7周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨(とき)の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。」
(ヨシュア記6章 2〜5節)

 

 その当時エリコの町は「やしの都」として知られており、ヨルダン川流域の緑の豊かな土地で主要な貿易路に通じていて、とても繁栄していました。エリコは緑に包まれた美しいオアシスの街ですが、海面下250mの荒野の真ん中にどうしてこのような町が生まれたのか不思議です。その秘密は泉にあるようです。紀元前7千年頃にその泉の側に町がありましたが、それ以来ヨシュアの時代までエリコの町は繁栄を続けたそうです。世界で最も古いとされる町跡が発見されています。ヨシュア記には金、青銅、鉄やバビロニアから輸入された豪華な衣装・装飾品などのことが記されています。
 ヨシュアはヨルダン川の東岸で数々の勝利を上げると、次はこのエリコを攻略することを計画しました。カナン征服の足がかりとしては、どうしてもヨルダン川の西側に足場を築くことが必要だったからです。
 ヨシュアは攻略のために周到な準備をなして、2人の偵察をヨルダン川の西岸へ送りエリコとその周辺の調査に当たらせました。偵察はエリコの城壁の中へ入り、ラハブという遊女(ベイト・ゾナ=宿屋らしい)の家に泊まりました。ラハブは後の彼女の家系からボアズが生まれ、彼が娶ったルツとの間に生まれたオベデからダビデ王の父エッサイが生まれたとされており、新約聖書にもイエス・キりストの系図の中にラハブの名前が出てきます。
 ラハブは機知に富んだ女性で、偵察の斥候を建物の窓から城壁の外に逃がし、斥候の2人は無事ヨシュアの許に帰ることが出来ました。自分の命を賭けて斥候を助けたラハブの信仰は、ヘブル書にも賞賛されて記されています。
後にエリコではラハブの一族だけが救われました。
 偵察から戻った斥候はヨシュアに、エリコの民の士気は低く、またイスラエル軍の名声と」迫り来る敵軍に恐れをなしていると報告しました。ヨシュアはエリコへ攻め上ることを決心しました。
 イスラエル軍がヨルダン川を渡ろうとすると、奇跡的に川の流れは止まりました。川を渡りギルガルまで進んだイスラエル軍は、全ての男子に割礼を施すため行軍を一時中断しました。必要な休息を取り、一行は進軍を開始しました。この時、ヨシュアは彼らに明快な指示を与えました。
 「前後に護衛の部隊をつけた7人の祭司が、雄羊の角のラッパを吹き鳴らしながら契約の箱を担いで、エリコの城壁の周りを行進せよ。だか、祭司たちはラッパは吹き鳴らすが、戦闘の鬨の声はヨシュアが合図をするまで上げてはならない。」
 ラッパの音に合わせて城壁の周りを行進しつつ、イスラエル軍はエリコの城壁を6日間取り囲みました。7日目にヨシュアは進軍との命令を下しました。イスラエル軍はラッパの轟きと共に大きく鬨の声を上げるとエリコの町に突進して行きました。その勢いに、エリコの人々はただただ右往左往するばかりで、遂に城壁は崩れ落ちました。町は燃やし尽くされ、民たちは剣により殲滅されました。
 ヨシュアはエリコを焼き払ったあと、その瓦礫を前にしてイスラエルの人に神聖なる誓いをたてさせました。
「この町エリコを再建しようとする者は主の呪いを受けるであろう。基礎を据えた時に長子を失い、城門を建てた時に末子を失う。」
 この呪いから解かれるためには町の再建者は自分の長男を殺し、基礎の下に埋め、次に末子を城門の下に埋めなくてはいけないということです。このため、これから何世紀もの間エリコは廃墟のままでした。しかし、アハブ王の時代になってベテルの人、ヒエルがエリコを再建しました。しかし、かつて主がヌンの子ヨシュアを通してお告げになった御言葉の通り、ヒエルはアビラムとゼグブという2人の息子を犠牲にすることになったということです。
 エリコの占領の後、ヨシュアは西部のユダの丘陵地帯へ、アイの町とその周辺の領土を偵察する為に斥候を立てたと聖書に記されています。斥候は楽観的な報告を持って帰り、イスラエル軍は3000人の兵士のみで出撃しますが、敗退を帰し、彼らの士気も挫けてしまいました。ヨシュアが契約の箱のもとへ行き神託を求めると、味方の内の1人がエリコの町から何かを盗んだことが解りました。全ての戦利品は神様のものであるという掟が破られていたのです。犯人はしらみつぶしの捜査の結果発見されました。ユダ族のアカンという男で、彼は、上等の上着一枚、重さ200シュケルの銀50シュケルの金の延べ板を盗み出していました。この男は宿営より連れ出され、石で打ち殺されました。
 自信をとりもどしたイスラエル軍は3万人もの勇士をえりすぐり、再びアイを攻撃します。ヨシュアはここでも作戦を考え出しました。大多数の兵士は町の裏手に隠れており、ヨシュアと何人かの兵が敵をおびき出し、追撃を受けている間に町を占領するという作戦でした。
 作戦通りに運び、ヨシュアがアイの方向に手を差し伸べ合図をすると、隠れていた兵が裏手より町に攻め込んでこれを攻略し、直ちに町に火を放ちました。アイの王は生きたまま捕虜となりましたが、木に吊るされ縛り首になりました。
ヨシュア記にはカナン征服の物語が実に生々しく描かれています。これは神様がイスラエルの民族を守るための聖戦であるということを強調したかったからだろうと思われます。そして彼らの信仰を促すと共に掟という考え方、定められた規律を守るということを民全体に知らしめたかったのではないでしょうか。何時の時代にも、戦いというものは民族が生き残る為の手段なのでしょうか。

 

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