January

 

 

sun mon tue wed thr fri sat
* * * * * * 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 * * * * *


 ところで、ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。 レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。 ヤコブはラケルを愛していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは七年間あなたの所で働きます」と言った。
(創世記29章16〜18節)

 


 「天の門」で神に勇気付けられたヤコブは、なおも旅を続けハランまでやってきました。ハランは母りべカの故郷で、メソポタミアにあります。ハランはカナンに比べると緑豊かな土地でした。ある日ヤコブは羊の群れが水を飲みに集まっている井戸にさしかかりました。彼はそこにいる羊飼いたちと話をしていましたが、そのとき羊を追いながら美しい娘が近づいてくるのが見えました。「あれはだれの娘ですか?」とヤコブは羊飼いたちに尋ねました。「ラバンの娘、ラケルですよ」と彼らは答えました。ラケルはとても美しく愛らしい娘でした。ヤコブは、しばらくのあいだ黙ってラケルが羊に水をやるのを手伝っていましたが、たまらなくなって思わずラケルにキスをして、泣き出しました。
 ラバンの家の人たちは快くヤコブを迎えいれてくれました。ヤコブもその家にすぐに馴染み、一生懸命働いてラバンを手伝いました。ラバンはヤコブの働きを見て「何かのぞみがあったら言ってくれ、働きの代償にしよう」と言ってくれました。ヤコブはラケルを妻にと望み、そして結婚するために7年間ラバンのもとで働くことを約束したのです。ヤコブはラケルを妻にしたい一心で、骨身を惜しまず働きました。
 ヤコブにとって7年間はあっという間でした。ラケルを愛していたので長い年月もほんの数日のように思えたのでした。とうとう結婚が許され、婚礼の夜があけて妻の顔を見ると何とそれはラケルではなく、姉のレアだったのです。ヤコブはラバンのところへ飛んでいきラバンを問い詰めて言いました。
 「あなたはなぜこんなことをなさったのですか?ぼくはラケルのために7年間あなたのもとで働いてきたのです。それはあなたもよくご存知のはずではありませんか」
 「悪かった。しかしこの土地では、妹が姉より先に結婚するわけにいかないのだ。どうかレアと結婚してくれ」
ヤコブはレアを妻とし、さらにラケルと結婚するために7年間働くことを承知せざるを得ませんでした。ヤコブはレアとラケルの二人の妻を持つことになったわけですが、この当時は男性が何人かの妻を持つことは普通であったのです。
ヤコブはレアよりもラケルの方を愛しました。昔の絵画や彫刻では、ラケルは「神を思う生活」とされ、頭に布をかぶり祈る姿が示され、レアは「活動的な生活」とされ花輪と鏡を持っています。ダンテの「神曲」の中でも「わたしはレア、手をさしのべて花輪をつくろうとしています。こうして身をかざるのは、ただ鏡にうつして楽しむためです。」という一節があります。レアは大勢子供を産み力強い女性の象徴でもあります。ラケルは子供をなかなか産めず、やっとヨセフと言う子供を授かることが出来ました。
 約束の7年がたちました。ヤコブは結局ラバンのもとで20年間も働いたのです。ヤコブはラバンにいとまごいをしました。ヤコブがいる間に、その働きによって家畜は増え財産が大いに増したため、欲深くなったラバンはなかなか承知をしませんでした。とうとう、ヤコブは決意し、2人の妻と11人の子供たちを連れ、自分が貰っても良いと思っただけの家畜を連れてラバンの留守に家を出て、故郷への旅路についたのでした。
 一行はエサウ(ヤコブの兄)の住んでいるカナンに近づきました。ヤコブはまだ兄が怒っていやしないかと恐ろしくてたまりませんでした。ヤコブは兄エサウを欺いて長子の権利と祝福を奪ったことがあったからです。エサウはヤコブはもちろんのこと、妻や子供たちまで殺してしまうかも知れません。そこでヤコブは羊、ヤギ、らくだ、ロバの家畜を贈り物とし、召使いをエサウの許にやって、自分が故郷に帰ることを前もって知らせることにしました。
 やがて帰ってきた使いのものは、エサウが400人の供を従えてヤコブを迎えにくると報告しました。ヤコブは不安になって、家畜や供のものを二組に分けたとえ襲われても、一組は助かるようにと考えました。
 その夜、ヤコブはヤボク川の渡しを渡ろうとしました。ヤボク川はギレアデ山地から曲がりくねって、死海から約40キロ北の地点でヨルダン川と合流している川です。ヤコブはそのヤボク川を女子供を渡らせ終えて、さて自分も渡ろうとしたその時、いきなり人影が現れてヤコブに組み付いて来たのです。その人はとても強い人でしたがヤコブも負けてはいませんでした。一晩中二人は組みあい闘いました。夜明けが近づき、その人はヤコブに勝てないとみるとヤコブの関節に触り、ヤコブの股の関節をはずしました。それでもヤコブは彼を放しません。
 「もう夜が明けるから、わたしを帰してくれ」
 「いいえ、わたしを祝福してくださらないうちは放しません」
その人は天の使いでした。天使は
 「神と争って勝ったのだから、これからはヤコブではなく、イスラエルと名を改めなさい」
と言い、祝福を与えて去っていきました。イスラエルとは「神は戦いたもう」という意味です。この時ヤコブは自ら神と共に戦う戦士の自覚を持ち、民族の長として神への信仰表明をしたのです。こうしてヤコブは「イスラエス」民族の父祖となりました。
 さて、夜が明けてヤコブたちは出発を再開しました。間もなく400人の供を連れたエサウが近づいてくるのが目に映りました。贈り物が足りなかったのだろうか、まだエサウは・・・、と思う暇もなく双方の距離はちぢまりました。ヤコブは愛する妻や子供たちをかばい、許しを乞うようにお辞儀をしながら進みました。
 エサウはらくだを急いで降りると走りよって弟を抱きしめ、接吻をしました。エサウはいつまでも憎しみを忘れられずにいるほど、難しい男ではありませんでした。久しぶりに弟に会ったことを心から喜び「帰郷を心から待っている」と言って先にたって帰って行きました。
 ヤコブは家に帰るその途中でラケルを失いました。ベニヤミンという子を産んで難産のために亡くなってしまったのでした。ヤコブはひどく悲しみましたが、仕方なくベツレヘムに向かう途中の道端にラケルを葬り、旅を続け、父イサクの住んでいたヘブロンの地に到着したのでした。ラケルが命をかけて産んだベニヤミンの子孫から、イスラエルの最初の王サウルが生まれます。新約のパウロもベニヤミン族の出身であることを誇っています。また、ラケルはイスラエル民族をずっと見守ってくれると言い伝えられ、道端のラケルの墓は代々イスラエル民族の希望の象徴として崇められています。今でもラケルの墓に来て祈り、泣く婦人が絶えないと聞きます。
        



Back