February




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イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
      
  (マタイによる福音書15章26節)

 

 イエスはある日、ガリラヤ湖周辺から離れ、歩いて4,5日位、北西に約60kmの地中海沿岸の港町のツロというところに行かれました。ここはもうユダヤではなく異邦の地です。この頃にはイエスはユダヤでは多くの人々に知られ、何処へ行かれても多くの人々に慕われ、囲まれ、着いてこられるので静かに祈れる場所としてこのツロをお選びになられたのでしょう。
 しかし、この異邦の地ツロにもイエスの名声は届いていました。イエスと何人かの弟子たちが歩いていると、
 「主よ」
と呼ぶ声がしました。
 呼びかけたのはシリア・フェニキア生まれの女性でした。娘が悪霊に憑りつかれているので追い出して欲しいと頼みに来たのです。聖書にはどのような悪霊なのか病気なのか書いてはありませんが、苦しみにもがいている娘が心配で心配で、やるせない思いでいたに違いありません。その地方の医者、祈祷師などあらゆる手立てをしつくし誰に頼ることも出来ないと観念した時、イエスの噂を聞いたのでしょう。この娘を癒して下さるのはそのお方しかないとせっぱつまった思いで必死にここまでやってきたのです。


 しかし、イエスは何もお答えになりませんでした。そこで弟子たちは
 「この女が叫びながら私たちにまとわりついてきますので、どうか追い払ってください」
と回りの者たちに依頼しました。イエスもその女性に
 「私が遣わされたのは、イスラエルの迷える羊たちのためです」
ときついお言葉をかけられました。
 でも、その女性は弟子たちの態度にも、イエスのお言葉にも怯みませんでした。
彼女はイエスに走り寄り、その足元にひれ伏して懇願しました。
 「主よ、どうか私の娘を助けて下さい。」
イエスはそんな女性に更に厳しい言葉をかけました。 
 「まず、自分の子供たちに十分食べさすべきです。子供たちのパンを取って小犬にやることは良くないことです。」
ここで子供というのは神の民、イスラエルの人々を指しています。小犬というのは、異邦人のことです。その当時イスラエルの人々は神に選ばれたという選民意識が非常に強く、異邦人のことを軽蔑して犬と呼んでいたようです。イエスはそのことを十分承知しながら、わざと犬を持ち出されたと思われます。でもただ犬でなく、小犬という言葉を用いてもっと親しみと慈しみのこもった表現であることを回りに知らしめたのではないでしょうか。それでもいくら小犬がかわいくても、子供に先に食事をさせてその残りを犬に与えるのが普通ではないですか?と女性に問うているのです。

 
 その女性はその言葉にもくじけず、腹を立てることもせず、実に慎重に返す言葉を考えました。 
 「主よ、あなたのおっしゃることは良く分かります。でも、食卓の下にいる小犬でも、あなた方が落としたパンくずを頂くことはします。」
 その女性は異邦人ではあるけれども、イエスが食卓の下の小犬をも大切にする方であることをちゃんと理解していたのです。
 主イエスはこの言葉を聞いてどれほど喜ばれたことでしょう。
 「婦人よ、あなたは本当に信じる心を持っておられます。あなたの願いは聞き届けられることでしょう。」
 その女性が家に戻ると、娘の病気はすっかり良くなっていました。娘の病気を直してくれることが出来るのはこのお方をおいて他にないという強い信仰が、ユダヤ人・異邦人の枠を越えて神様のパンくずを特別に与えらることになったのでした。

 
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