サマリヤのスカルを後にしたイエス一行はガリラヤの町や村を巡り歩いて、神さまのお話を宣べ伝えておりました。あるときイエスはカナにお出でになりました。水をブドウ酒に変えられた町です。その奇跡の話を伝え聞き、町の人々が大勢一目イエスを見ようと集まって来ておりました。
するとそこに、カペナウムから王室の役人がイエスを尋ねてやってきました。カペナウムにはヘロデ王の王宮がありました。ヘロデというのは、赤ん坊のイエスを亡きものにしようとしたヘロデ大王の息子、ヘロデ・アンティパスのことです。ヘロデ大王は実際にユダヤを治めましたが、ヘロデ・アンティパスの時は、ローマがユダヤを治めており、ヘロデ・アンティパスの権限も制限されていました。しかし、彼は依然として「王」と呼ばれ、ガリラヤ地方では領主としての力を保っておりました。ですから、ヘロデの王宮の役人といえば、日本で言えば、大蔵省や外務省の高級官僚のような地位に相当する役職です。このような地位にある人は、何もかも満ち足りていて、信仰を求めることはあまりなかったと思われます。それに、イエスは常に民衆とともに歩んできましたし、取税人や遊女、罪人と呼ばれる人たちが回りにいましたから、高い地位にある人々の多くはイエスを軽蔑していました。とくにヘロデ王は、民衆に人気の高かったバプテスマのヨハネを捕まえ、殺害した人物であり、そのバプテスマのヨハネの働きを引き継ぐようにして現われたイエスに対しては敵意をいだいていたようです。この役人は言うならば「反イエス」的な環境の中にいましたので、このような人がイエスにコンタクトをとろうとしたのは特別なことでした。 |
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実はその役人には病気の息子がおりました。地位も財産もある人ですから、息子の病気を直すためにあらゆる手を尽くしましたが、病気は一向によくなる気配がありませんでした。親にとって、子供が苦しむ姿を見るのほど辛いことはありません。息子の枕元で役人はため息をつくばかりでした。彼は、いざ、自分の息子が死に直面して、彼の地位も、財産も何の役にも立たないことに気づいたのです。
そんな時、役人はイエスの噂を聞きました。役人は考えるいとまもなくカナに向かって出発しました。カペナウムからカナまでおよそ30kmの道のりを必死になって歩き続けました。彼の胸の中はイエスにすがりつきたい、何とかして助けてもらいたいという気持ちでいっぱいでした。 |
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カナについた役人はすぐさまイエスを訪ねて行きました。
「主よ、お願いです、どうか息子が死なないうちにお助けください!」 すがりつく役人に、イエスは言われました。
「あた方は、奇跡を見なければ私を信じないのですか。」
イエスはまず自分のことばを信じる信仰をその役人に求めたのですが、役人はイエスのおっしゃる意味が理解出来ませんでした。でもイエスが自分の息子を看てくれさえすれば病気が治ると信じていましたのでこうお願いしました。
「どうぞ息子が亡くならないうちに私の家にお出で下さい。」
イエスは役人を信仰をごらんになり
「帰って行きなさい。あなたの息子は治っています。」
とおっしゃいました。
彼はそのことばを信じました。家に向かって帰って行くと、途中で家の使用人たちが迎えに来ているのに出会いました。彼らは口々に言います。
「たんなさま、坊ちゃんが治りました!」
そこで役人は使用人に子どもがよくなった時刻を尋ねました。
「きのう、7時に熱がひきました。」
と彼らは言いました。それはイエスが「あなたの息子は治っている」と言われた時刻と同じであるありませんか。役人はイエスことばの力に大層驚き、ますます信仰を強めました。
そして彼の家の者もみな信じました。 |
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もちろんこれは、イエスさまにお願いすればどんな病気もすぐにでも治るということではありません。死なない体にしていただけるわけでもありません。どういう時にどういう人を治してくださるのかは、神さまがお決めになることで、人間にはわかりません。 でも聖書を読む限り、はっきりしていることがあります。イエスさまが“病のいやし”という奇蹟をなさる時は、そのいやしによって、病人本人だけでなく、それを目撃した人々を、神への信仰に導いておられるということです。
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