イエス生誕を記念する聖誕教会は、325年にコンスタンチヌス大帝が建てたものですが、紀元12世紀の十字軍時代に修復され、現在に至っています。この教会の入り口は、敵が攻めにくいように低く造られています。奥には、イエスが生まれたと伝えられている飼葉おけの跡と、東方の博士を招いた星に因んではめ込まれた銀の星が見られます。
毎年クリスマスになると世界各地から、たくさんの巡礼者が、礼拝に参加するために訪れて来るそうです。
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イエスはナザレ人と呼ばれたように、幼児から成人するまでナザレの村に住んでいたと言われています。
ナザレは、それまで旧約聖書にも、ユダヤの文献にも登場しないような目立たない町でした。ガリラヤのナザレは標高350メートルの丘陵にあって、南はエズレル平原を見下ろし、東タボル山やギレアデの山肌、北ははるかにヘルモンの連山が見え、西にはカルメル山が見える景勝の地です。
当時のガリラヤ最大の町セフォリスが、北西6キロメートルにあり、幹線道路の近くにあり村でもありました。当然ギリシア・ローマとの交流もあり、ナザレに生まれたイエスは、国際色豊かな文明の中で育ったと想像されます。 |
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ガリラヤ地方は、度重なる異民族の占領によって、イスラエル民族に無縁の地になっていましたが、イエスの生まれる100年前頃から多数のユダヤ人が移住するようになり、あちらこちらにユダヤの町々や村々が生まれました。
イエスは30歳頃まで、大工の息子として生活していました。そのヨセフの家の跡に建てられたのが「聖ヨセフの教会」です。また、町の北東の端には、泉がありました。イエスの母のマリヤも、この泉から毎日水を汲んだとされています。現在は「マリヤの泉」と呼ばれています。イエスはおそらくユダヤ的な教育方法で3歳から文字を習い、律法の暗誦などユダヤの法典の勉強も沢山したことでしょう。また、幼き日にエルサレムの巡礼に加わらせたりして、敬虔なイスラエル男子としての教育を行ったようです。
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