February

 

 

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 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
(ルカによる福音書 2章1〜 5節)


 イエス生誕を記念する聖誕教会は、325年にコンスタンチヌス大帝が建てたものですが、紀元12世紀の十字軍時代に修復され、現在に至っています。この教会の入り口は、敵が攻めにくいように低く造られています。奥には、イエスが生まれたと伝えられている飼葉おけの跡と、東方の博士を招いた星に因んではめ込まれた銀の星が見られます。
 毎年クリスマスになると世界各地から、たくさんの巡礼者が、礼拝に参加するために訪れて来るそうです。




 イエスはナザレ人と呼ばれたように、幼児から成人するまでナザレの村に住んでいたと言われています。
 ナザレは、それまで旧約聖書にも、ユダヤの文献にも登場しないような目立たない町でした。ガリラヤのナザレは標高350メートルの丘陵にあって、南はエズレル平原を見下ろし、東タボル山やギレアデの山肌、北ははるかにヘルモンの連山が見え、西にはカルメル山が見える景勝の地です。
 当時のガリラヤ最大の町セフォリスが、北西6キロメートルにあり、幹線道路の近くにあり村でもありました。当然ギリシア・ローマとの交流もあり、ナザレに生まれたイエスは、国際色豊かな文明の中で育ったと想像されます。



 ガリラヤ地方は、度重なる異民族の占領によって、イスラエル民族に無縁の地になっていましたが、イエスの生まれる100年前頃から多数のユダヤ人が移住するようになり、あちらこちらにユダヤの町々や村々が生まれました。
 イエスは30歳頃まで、大工の息子として生活していました。そのヨセフの家の跡に建てられたのが「聖ヨセフの教会」です。また、町の北東の端には、泉がありました。イエスの母のマリヤも、この泉から毎日水を汲んだとされています。現在は「マリヤの泉」と呼ばれています。イエスはおそらくユダヤ的な教育方法で3歳から文字を習い、律法の暗誦などユダヤの法典の勉強も沢山したことでしょう。また、幼き日にエルサレムの巡礼に加わらせたりして、敬虔なイスラエル男子としての教育を行ったようです。



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