February

 

 

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 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
(列王記上3章12〜13節)


 ソロモンはダビデとバト・シェバの2番目の息子でした。ソロモンはバト・シェバと預言者ナタンによって王位に就くことになりましたが、王になると迅速かつ慎重に王位継承のための権利を守るいくつかの措置を講じました。まず王位を狙う兄アドニアと将軍ヨアブを亡き者にすることです。また、行政上の改革を行い、宰相、将軍、書記官を置き、「宮内卿」として王の仕事を分散しました。労働者の供給を安定させるために「徴募の長」を置き、労働者の監督に当たらせました。次に12行政区に代官を置き「代官の長」を決めました。イスラエルの師士の時代、そしてサウル王の治世でさえ、民は指導者の個人的な魅力と神の霊感によって統治されていましたから、このソロモンの改革は全く斬新なものでありました。
 また、統治し始めて4年後にはモリヤの山の上に大規模な神殿の建設を行っています。7年を要し、完成時には「契約の箱」をこの神殿に移し、劇的な奉納式を行ったと言われています。



 また近隣諸国との外交政策の樹立にも力を傾倒しました。主要な隊商路が国内を通っていた為、近隣諸国との通称を支配する立場にありました。ソロモンはこれらの近隣諸国がイスラエルを攻略しないよう、またこれらの国々との通商協定を確実なものとするよう努めました。
 その政策の一つとして、しばしば諸国の王女と政略結婚をしました。モアブ人、アンモン人、エドム人ヘテ人、フェニキア人、そして、エジプトのファラオの王女などです。



 紀元前950年頃、シバの女王がソロモン王の首都エルサレムを訪れたました。女王はこの都市の壮麗さに感銘を受け畏怖の念を抱いたに違いありません。アラビア甫西部の小国シバには、ソロモン王の建てた神殿や宮殿のような建築物はどこにもなかったからです。この大都市は、大きな石をすき間な
く.積み重ねた城壁で防備され、その内側には何百という1階か2階建ての泥れんが造りの家々が並び、幅の狭い街路と活気あふれる市場がありました。
 城門からさほど離れていない所には、天幕を張った市場が並び、近東のあらゆる所から持ち込まれた商品が売'買されていました。ソロモンは隊商から通行銭を取り、領内の通過を許していました。女王がエルサレムを訪れた目的は、利益が得られるかもしれない売買契約を取り決めることにあったのです。エジプト製の良質の布地、シリア産の軟膏、アナトリア産の馬、クプロの鋼などの商品は、イスラエル王国の南東に位置するシバや、他のアラビアの国々で必要とされているものでした。



 やがて女王の前に、堂々たる王宮が見えてきました。市街地を見おろす丘の高い尾根に設けられたこの王宮地区には、宮殿と神殿がありました。宮殿はレバノン杉と石で造営されて、装飾が凝らしてあり、神殿はイスラエルの主を祭るための重厚な長方形の石造りのものでした。
 王の僕の一人が、シバの女王とその従者たちを、長い「柱の広間」を経て「審判の広間」の王座へと案内しました。金箔張りであざやかに輝いている高い王座には、書記官や侍従や臣下に囲まれて、イスラエルの王ソロモンが座していました。
 


 挨拶の後、シバの女王はソロモンに数々の謎掛けをして、天下に名だたるソロモンの知恵を試そうとしましたが、ソロモンはそのすべての問いにしっかり答えてしまいました。シバの女王はそのソロモンの知恵、宮殿、街並み、食卓の食物、列座の家来たち、その服装、祭礼の燔祭・・・それら全てに魅了されてしまいました。
 その後、二人は商談に入り、商品交換を内容とした通商条約を締結し、それにお互いに署名したと思われます。シバの女王はソロモンに金120タラント(今の数百万ドル)および多くの香料と宝石を贈りました。ソロモンもシバの女王に高価な贈り物と、他に、彼女の望みにまかせて、交易のための権利のようなものを与えたと思われます。
 こうしてシバの女王は売買契約に満足して帰国して行きました。その後、イスラエルとアラビアとの交易は繁栄し続けたと言われいています。



 イスラエルの王となって間もなく、ソロモンは夢を見ました。夢の中で「主は……言われた、『あなたに何を与えようか、求めなさい』。ソロモンは言いました、『……わが神、主よ、あなたはこのしもべを、わたしの父ダビデに代って王とならせられました。……それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう』」。主はこの若き王の謙虚な態度に感銘を受け、王に富と知恵とを与えました。



 ソロモン王は、宰相と次第に数を増す官僚の補佐を得て、心理学から自然科学に至る広範囲の学問に時間を割きました。
 こんな逸話があります。ある日一人の赤児をそれぞれ自分のものだと主張する二人の女がソロモンのもとを訪れ、争いの調停を頼みました。ソロモン王は一振りの剣を持ってこさせ、その赤児を二つに裂いて女たちに半分づつ渡すように家来に命じました。すると一方の女は「あなたのおっしゃることはご最もです。それでこそ公平な裁きといえましょう!」と王の解決法を飲みましたが、もう一方の女は「ああ、主よ。生きている子供を彼女に与えて下さい。私は訴えを退けますから、決してその子を殺さないで下さい!」と叫びました。もちろんソロモン王はわが子を殺されるようなことを許す母親はいないと見てのことで、叫んだ女に子供を返しました。
 
 ソロモンの治世は40年もの間続き、イスラエル王国は最初の大繁栄期を迎えました。だが、栄華を極めたソロモンの治世は、民に強制労働と重税、部族の力の弱体化、首都エルサレムでの異教の黙認を持ち込んだのです。異教はソロモンの妻たちとその大勢の側近たちからも広まりました。ソロモン自身も主を崇拝し続けることを忘れ、妻たちの神々をも崇拝したと言われています。
 イスラエルの神、主は、怒り
 「あなたのこのような振る舞い、私との契約と掟を守らなかった報いとして、あなたから王国を取り上げ、あなたの家臣に渡す。しかし、ダビデの名のゆえにあなたではなくあなたの息子の時代に行う」
と告げました。
 


 ソロモンの息子レハベアムは軽率な若者で、父ソロモンの行政手腕を受け継いではいなかったのです。ソロモンもしっかりとした後継者がいなければ、イスラエルの崩壊は目に見えていることを知っていたのでしょう。王の晩年は、イスラエルにとって緊張した時期が続きました。年老いた王自身は、しだいに激しくなってきた争いを見ずに他界します。
 後にイエス・キリストは「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 」(マタイによる福音書 6章 29節)と語られました。

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