December


 

 

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 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。 なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。
(ヘブライ人への手紙9章11〜14節)


 

 牛の出す乳は、遥か昔から人類に大きく貢献してきました。栄養豊富な牛乳は、そのままの状態でも、またチーズやバター、ヨーグルトといった加工品にしても、人類にとってとても有用な食料になってきました。家畜の中で、牛は特別な存在というわけではありませんが、牛は他の家畜と違う大きな特徴を持っています。それは、人が直接食べることのできない草を主食にし、人が食べる牛肉や牛乳を効率良く作り出すことができることです。たとえば豚や鶏の場合、主食となるのは穀類(豆類や麦、米など)です。穀類は人の主食でもあるので、豚や鶏は人と同じようなものを食べ、別の食料品(肉や卵)を作っていることになります。また草を食べる家畜は、他にも山羊や羊、馬などもいます。しかし、これらの家畜は牛ほど効率よく食料品を提供してはくれません。牛は、人が食べられないものを効率よく、食料にしてくれる大変価値がある動物というわけです。また牛は大層力がある為荷物を運んだり、人を乗せたり、農地を耕す力となってくれたりと様々の仕事をも引き受けてくれていました。これほど人のために役に立つ動物は他にいません。
 そんなわけで、この偉大な牛という動物に対して、いつしか「牛は人類の乳母」と呼ばれるようになったのです。



 牛は本来、群で生活する動物です。牛を集団で飼うと必ず強いリーダーが生まれ、さらに仲間同士で順位付けが行われます。この時、角をつき合わせて喧嘩をするためとても危険ですが、一度順位付けをした後は、おとなしくなることが多いようです。リーダーとなった牛は、責任感が強くなり、人や外敵が接近したときは、真っ先に群の前にあらわれて、仲間を守ろうとします。この順位付けは、同時にエサを食べるときの優先順位にもなります。つまり、上位の牛がエサを常に豊富に食べられるようになり、より頑丈で強い牛になっていくのに対し、順位が下位の牛は、エサになかなかありつけず、痩せ細ってしまうこともあります。
 子牛をもった母牛は、母性本能が強くあらわれます。そのため、まわりの牛や人から子牛を守ろうとして凶暴になることもあるので、十分に注意して接しなければ人間も大ケガをしてしまいます。
 牛が野生であった頃は、広い草原で身を守るため群れをつくり生活していました。群れには強いオスのボス牛がおり、群れを守っていました。
 野生牛は、今から約1万5000年前のフランスの洞窟壁画に描かれていますが、原体はオスの体高が175-200cm、メスで150-170cmほどでした。温帯の森林や草原に住んでいましたが、狩猟によって子牛が生け捕られ、柵内に飼われたのが、家畜化の始まりとされています。
    
 日本での牛の家畜化は縄文晩期から弥生文化晩期の頃で、牛の遺骨が多数発掘されています。家畜化された牛は、食用や農耕作業に使役されるようになり、また搾乳も行われてクリームがつくられた記録もあります。
 日本で古くから飼われてきた在来牛の姿は、現在でも山口県萩市の見島に残る黒毛の見島牛に見ることができます。このような在来種に明治以降いくつかのヨーロッパ品種を交雑し、大正年代の始め頃から中国地方を中心に育種改良が重ねられてできたのが近代品種です。昭和20(1945)年頃までは役肉兼用種として利用されてきました。しかし、農業の機械化によって役用牛としての役割はなくなり、昭和30(1955)年頃から肉用種として改良が行われ、努力の結果、産肉性と肉質に優れた黒毛和種が生まれました。現在では雄牛は去勢されて肥育され、雌牛は繁殖牛として優秀な種牛の子牛を生産しています。

 牛には第1胃(ルーメンという)から第4胃まで4つ胃があります。第3胃までは食道が変化したもので、いちばん大きい第1胃の容量は120リットルもあります。
 最も大きい胃は食道から真っ先に入る第1胃(ルーメン)で、成牛だと120リットルもあります。第1胃にはたくさんの微生物が共生していて、この微生物の作用によって、人が食べられない草のような飼料を発酵し、栄養素として利用できる形に変えます。第1胃の表面は大小のじゅう毛が密生していて、表面積を大きくしています。これは微生物が発酵してできた栄養素をできる限り効率よく取り込むためです。ここで吸収される栄養源はVFA(揮発性脂肪酸)と呼ばれる物質です。この物質は牛にとって最も重要な栄養源です。牛はこのVFAと呼ばれる物質から、糖や脂肪などの栄養素を体内で作っているので、もし、第1胃の機能が壊れると重大な病気になってしまいます。
 第1胃の先には第1胃の作用を助ける第2胃があります。内面はハチの巣のようなひだを持っているので、別名「ハチの巣胃」と呼ばれています。さらに第2胃の奥には第3胃があります。第3胃は葉っぱのようなひだが何枚も重なって、内容物をすりつぶしているような構造になっています。そのため、別名「葉状胃」と呼ばれています。この胃が何のためにあるかまだ分かっていません。ここまでが前胃と呼ばれる部分で、食道が変化したものです。したがって前胃では消化液の分泌はしません。
 4つ目の胃は、他の動物と同じ機能をもつ第4胃です。ここでようやく胃液を分泌する本当の胃となるわけですが、牛の場合、胃が1つしかない他の動物に比べると消化作用はあまり強くありません。ここまで来るあいだに多くの食物が細かく分解されており、他の動物のようにここで強い消化作用をする必要がないからです。
 聖書には牛は数多く登場します。
「彼は威光に満ちた雄牛の初子/彼の角は野牛の角。彼は諸国の民を角で突き倒し/地の果てにまで進み行く。見よ、エフライムの幾万の軍勢を。見よ、マナセの幾千の軍勢を。」(申命記33:17)と旧約聖書にありますが、牛は雄々しい生き物と見なされていました。
 また、「特別の誓願を果たすため、あるいは和解の捧げ物として若い雄牛を焼き尽くす献げ物あるいはその他のいけにえとして主にささげる」(民数記15:8)とあるように、牛は羊や山羊と並んで神への捧げ物としても良く使われました。特に特別の事の時に献げられたのが雄牛でした。神様には自分達にとって一番大切で一番良いものを捧げるのが慣わしでしたから、やはり牛はその当時から雄々しい生き物として用いられ、人には無くてはならない生き物だったのでしょう。
 生贄の儀式で用意した動物を祭壇で屠ったあとは、肉料理が用意されたました。祭司や感謝を捧げた家族ももその一部を食べましたが、一番美味しい部分は食べずに祭壇で焼き儀式の締めくくりとしたそうです。祭壇の角には突起した「角」のような形のものが造られ、その神の力を象徴した角に生贄の血を振り注ぎ、血で濡らしたようです。その血がかつてエジプトの鎖から脱出をした日を憶える印で、罪の鎖から解き放つ罪の贖いの印でもあったわけです。



 その血が、神の御子イエス・キリストの出現によりイエス・キリストの血に代えられたのです。キリストは、わたしたちの罪のためにご自分を投げ出し死んでくださいました。ご自分の血によって私達の罪を解き放って下さったのです。キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を持っているのです。
 御子の命によって救われたわたしたちは主イエス・キリストによって、神を誇りとし、キリストを遣わされた神を信じ讃美するものです。

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