諸国民はイスラエルの民を侮り、神はイスラエルの歴史からその身を隠しているかのような捕囚の時代に、イスラエルの民は全能の神が輝かしく現れてくれることを待ち焦がれていました。雅歌の『花嫁』は、『花婿』である神にその顔を示してくれるよう嘆願しています。キュロス王の帰還を許す勅令は、まさに『花婿』の最初の訪れを意味し、花婿はソロモンの建設した神殿で花嫁と結ばれるのです。
「レバノン杉が家の梁、糸杉が垂木。 」(1章17節)と語られているように、エルサレム神殿は選りすぐった木材を用いていました。その立派な神殿で神を礼拝することこそ、『花嫁』であるイスラエルの民が一番望んでいることであったのです。 |
|
雅歌の結びの部分はその全体と完全に調和を成しています。雅歌の作者は一度ならずバビロニア捕囚時代の優れた預言者であるイザヤの言葉と思想を繰り返して示しています。もしイスラエルが神との一致を保つならば、イスラエルは神の愛によってもっともっと苦しい試練をも、見事に乗り越えるでしょうと語っているのです。 |
|
溢れんばかりの叙情をたたえた雅歌は終末論的な世界観が高まっていたイスラエルの人々に大きな希望をもたらしたのです。そしてメシヤを待ち望む人々の心をも明るく照らしことでしょう。
|