August




 

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 朝になったらぶどう畑に急ぎ
見ましょう、ぶどうの花は咲いたか、花盛りか
ざくろのつぼみも開いたか。それから、あなたにわたしの愛をささげます。
恋なすは香り
そのみごとな実が戸口に並んでいます。新しい実も、古い実も
恋しい人よ、あなたのために取っておきました。          
 (雅歌7章13節〜14節)

 雅歌は神の業である愛と結婚を歌う歌として知られています。恋人に語りかけるように神に愛と賛美を捧げているのがこの雅歌の特徴で、聖書の他の書とは全く違っています。雅歌の主要部分はバビロニア捕囚時代に書かれたとされています。捕囚から解放されることの暗示と、キュロス王かの勅令によって帰国を許された後に続く祖国再建の困難さを語っているのです。雅歌の冒頭において、「イスラエルという『花嫁』は、まだバビロニアに捕らわれており、花婿が再び自分を受け入れ、失った『ぶどう園』すなわち聖地を取り戻し見出したいと絶えず希望している。彼女は捕囚から解放され、牧者である王、つまり神がパレスチナに再び連れ戻してくれるよう願っている」と語られています。
 婚礼の床もまた聖地にあり、預言者たちがメシアの時代には実り豊かな地となるであろうと語った神託どおり、そこには草木が豊かに繁っていました。『花嫁』が待ち望んでいるのは、エジプト脱出に比すべき新たな脱出でありその時彼女は再び荒野を渡らなければならないとも記されています。
 諸国民はイスラエルの民を侮り、神はイスラエルの歴史からその身を隠しているかのような捕囚の時代に、イスラエルの民は全能の神が輝かしく現れてくれることを待ち焦がれていました。雅歌の『花嫁』は、『花婿』である神にその顔を示してくれるよう嘆願しています。キュロス王の帰還を許す勅令は、まさに『花婿』の最初の訪れを意味し、花婿はソロモンの建設した神殿で花嫁と結ばれるのです。
 「レバノン杉が家の梁、糸杉が垂木。 」(1章17節)と語られているように、エルサレム神殿は選りすぐった木材を用いていました。その立派な神殿で神を礼拝することこそ、『花嫁』であるイスラエルの民が一番望んでいることであったのです。
 雅歌の結びの部分はその全体と完全に調和を成しています。雅歌の作者は一度ならずバビロニア捕囚時代の優れた預言者であるイザヤの言葉と思想を繰り返して示しています。もしイスラエルが神との一致を保つならば、イスラエルは神の愛によってもっともっと苦しい試練をも、見事に乗り越えるでしょうと語っているのです。
 溢れんばかりの叙情をたたえた雅歌は終末論的な世界観が高まっていたイスラエルの人々に大きな希望をもたらしたのです。そしてメシヤを待ち望む人々の心をも明るく照らしことでしょう。

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