牧師コラム

 

第30回 主の裁きを望む
2026.10  須賀 工 (すか たくみ)
  「主よ、あなたの裁きを望みます。」  詩編26篇1節
  詩編26篇は、そのままで読むと詩人の自信に溢れた言葉の数々であるかのように感じられる。なぜなら、この詩人は、「わたしは完全な道を歩いてきた」(2節)と謳うからである。
そもそも、「完全な道」とは何か。それは、「主に信頼して、主に心を向けて歩むこと」である。決して、それは、「完璧な行い」のことを指しているわけではなく、むしろ、主の支えを信じ、主に依り頼む生き方である。この世の価値観から言えば、むしろ、そのような生き方の方が、弱々しく見えるかもしれない。
 私達が、誰かに「自分は教会に行っている」と告白すると、多くの場合、「あなた偉いわね」と褒められる。いや、本当は違うのである。弱いからこそ、弱さを知っているからこそ、主の招きに応えたいのである。主に支えられたいからこそ、憐みに溢れた主の招く声に応えたいのである。それが、私達の信仰生活・礼拝生活なのである。
 この詩人は、主の裁きを求めている。「裁き」というのは、どうしても悪い人を決定づけるイメージが湧きやすい。しかし、本当は、主の御心を求め、白と黒をはっきりさせ、主の御心に適った正しいとされた方向に向き直すことを意味している。
 私達は、主のために、隣人のために、時には、自分を愛するように、自分のために、自分がなすべきことを、それぞれの場で行うであろう。しかし、人間である以上、それが成功をおさめることもあれば、失敗することもある。重要なことは、成功も失敗も主の御心に委ね、そこに信頼を置くことなのである。
 私は、自他ともに認める挑戦大好き人間である。失敗を恐れて、何もしないのではなく、失敗しても良いから、主のために、隣人のために、自分のためにも、沢山挑戦をしたい、と常日頃から考えている。その一方で、私は、挑戦する前にも、中にも、後にも、主の裁きを常に意識するようにしている。御心であれば、やらせてください!御心であれば、取り去ってください!このように祈りつつ、私は、挑戦するようにしている。そうすることで、失敗も試練も主の御心であると受け止めながら、自由にできるのである。だから、失敗しても大丈夫!そんなことで、神様は、あなたを見捨てるはずはありません!まさに、雨が降ってもハレルヤ!晴れの日であってもアーメン精神が大事なのである。