牧師コラム

 

第27回 何も欠けることがない
2026.7  須賀 工 (すか たくみ)
  「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩篇23篇1節)
  詩編23篇は、「ダビデの詩」であると言われている。私達は、「ダビデ」という名前から若々しいダビデの姿を想像するかもしれない。ただ、ある説教者は、この「詩」が、歳を重ねた老人によるものではないか、と推測している。
 私達は、年齢を重ねると、沢山のものを手にするだろう。しかし、その一方で、失うものも沢山あることを、私達は知っている。それは、健康であったり、気力であったり、体力であったりするし、家族や友人を失うこともあるだろう。自分の命を失う不安を得ることもあるかもしれない。
 しかし、全てを失ってもなお、取り去ることのできないものがある。それが、神様の存在である。神様は、仮に、私達が、全てを失ってもなお、私達と共にいてくださる御方である。そうであるならば、それ以上、私達は、何を必要とするのか。仮に、この詩人を老人とするならば、詩編23篇とは、正にそういう歌として聴くことが出来るのである。
 数年前に、ある海外の動画がバズった。内容としては、沢山の人々が、溝に落ちた一匹の羊を助け出そうとする動画である。沢山の人々が、力を合わせて、一匹の羊を一生懸命になって溝から引っ張り出し、最後には、無事に救出することができた。しかし、この羊は、急に走り出し、ピョンと飛んだと思ったら、違う穴にまた落ちてしまう。なんとも愚かな羊であるが、失敗を繰り返し、何度でも沢山の人に迷惑をかけ続ける私達人間の姿にも重ね合わせることができるかもしれない。
 しかし、羊は、羊飼いにとって財産そのものであり、宝物でもある。神様は、私達の無力さをよくご存じでありながらも、大切な存在として、私達を受けとめてくださる御方であろう。そのような御方が、今日も、明日も、これからも、いや、死すらも乗り越えて、共にいてくださるのであれば、私達の人生も死後も平安の内にあると信じることができるのかもしれない。