牧師コラム

 

第25回 決して揺らぐことがない
2026.5  須賀 工 (すか たくみ)
   王は主に依り頼む。
   いと高き神の慈しみに支えられ
   決して揺らぐことがない。 詩編21篇8節
  詩編21篇と22篇は、面白い配置であると思う。詩編21篇は、絶対的な信頼を神様に置いている。それに対して、詩編22篇は神様のお働きを疑う言葉から始まる。ある意味で人間の心の動きをよく表していると言えるかもしれない。人間というのは、今日、神様を信頼していても、明日は分からないものである。それが人間のリアルな姿であると言えるだろう。また、その意味で、人間というのは不確かな存在であると言わざるを得ない。
 私自身もそうであるが、人間というのは、よく「絶対〇〇」という言葉を使うことがある。おすすめしたい何かがあるときなど、それこそ絶対に「絶対」という言葉を使いがちであると言える(笑)。例えば、好きな歌手の歌を聞いてほしいとき、「絶対良い曲だから聞いてみて」と言ってしまう。本来であれば「良い曲かどうか聞いてみて」と言い回しを変えた方がよりコミュニケーションが増えて良いかもしれない。
 今から10年以上前、ちょうど私が伝道師の頃、主任担任教師との教務会で、私が「絶対」という言葉を使うたびに「人間には『絶対』はない」と注意されていた。確かにそうである。今日の価値観と明日の価値観は違うものであるし、状況によっては「絶対」は「絶対」ではなくなると言えるだろう。
 それに対して、主イエス・キリストは、「私は真理である」と仰せになられた。「真理」とは「曲がることのない真っすぐの道」のことである。正に「絶対」ということが、キリストにはあるのだ。この「絶対性」が揺らいでしまうと「神は真実」ではなくなり「偽る存在」になってしまうのだろう。その意味で、神様が、あなたを愛している、という真理は、決して揺らぐことはないと言える。人間は揺らぐ。しかし、神様とあなたの関係は揺らぐことはない。私が手を離しても、神様は、あなたの手は離さないでいてくれるのである。そのことに気づけたとき、人は平安を得るものとなれるのだ。