牧師コラム

 

第24回 人の力を捨てる
2026.4  須賀 工 (すか たくみ)
  我らは力に満ちて立ち上がる。  詩編20篇9節
  詩編20篇8節以下には、次のような御言葉が記されている。

「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが
我らは、我らの神、主の御名を唱える。
彼らは力を失って倒れるが
我らは力に満ちて立ち上がる。」

 ほとんどの人間は、自分の力や持ち物に頼り、それによって誇りを得ようと考えるだろう。しかし、人間の力には、限界があるのも事実であると言える。
 しかし、それに対して、神様の力を信じ、頼る者には、限界はない。なぜなら、神ご自身が永遠なる御方であり、その御業は、人間の力を遥かに凌ぐものであるからだ。信仰を与えられた者は、この神様の御業に、その身を委ね、信頼したらよいのである。それは、この世の価値観から言えば、弱者と呼ばれるかもしれないが、真実は違うのである。
 2026年度という新しい一年が、いよいよ始まる。人の力にのみ頼り、疲弊して終わるのか。神の御業に少しでもより頼み、平安と自由を頂いて、一年を過ごすのか。それが、今、問われているのだと言えるだろう。
 私の数少ない趣味の一つは「ダーツ」である。ダーツを投げている時だけは、ダーツのことだけを考えられるし、他の事を考えないで済むので、心が豊かに安定するものである。ある日、私のダーツの師匠が、どのようにしたら、ダーツをブル(中央)にさすことができるのかを教えてくれた。それは、ただ、ブルだけを見るのではなく、出来るだけ人間の力を捨て、ダーツに身を委ねて投げたらよい、ということであった。実は、ダーツというのは、人間の力で思いっきり投げると、うまく的には当たらない仕組みになっているのである。そして、何よりも、人間の力で投げれば投げるほど、腕に力が入らなくなっていくのである。事実、一試合で、45回(15ラウンドの場合)は投げるわけであるから、腕が疲れるのも仕方がないのである。
 信仰生活もまた、似ているかもしれない。人間の力だけに頼っていては、限界がある。疲れてしまう。大事なことは、自分の力だけで働くのではなく、神様が働く場所を準備し、この自分は、その主の働きに委ねる、ということなのかもしれない。そのことを心に留めた一年間を歩んでみると、心が少し軽くなるような気もするのである。