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2026.2 須賀 工 (すか たくみ)
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主は命の神。
わたしの岩をたたえよ。
わたしの救いの神をあがめよ。 (詩篇18篇47節)
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この詩人は、命の危険にさらされていたようです。1節を読みますと、これは、ダビデが、サウル王の手から救い出された時の詩であると言われています。ダビデは、嫉妬に溢れたサウル王に命を狙われますが、命が助けられました。ダビデは、この出来事を、自分の我力とはせず、むしろ、命は神様のものであるという認識を深めたようです。
私達キリスト者は、生きるにしても、死ぬにしても、命は神様(キリスト)のものであるという信仰によって慰めを得ることができます。また、その信仰は、私達を本当の意味で自由にすると言えるでしょう。死すらも、私達を縛り付けることはない、というのは、真の自由であります。
私達は生きていれば、色々なルールに縛られて生きています。教会の法、世俗の法、家庭の法、自分の法は、私達を縛り付ける力があります。勿論、それぞれの秩序を守るために、それらは存在するわけでありますが、それが私達に息苦しさを生むものであるならば、あるいは、他者を苦しめるものであるならば、その在り方をいつでも見直す必要があります。その上で、変えるべきところと、変えてはいけないところを見つめ直す必要はあると思います。
しかし、忘れてはいけないのは、生きるにしても、死ぬにしても、私達の命を支配しているのは、神様御自身であるということです。この原点を忘れてしまうと、ルールは、人を苦しみへと縛り付けるものになりますし、逆に言えば、何をしても良いといった、誤った自由を生みだし、人を自分勝手にしてしまうこともあるのです。大事なことは、常に、私達は、神様の御手の中で、自由であるということなのです。
こうでなければいけない!という価値観は、自分の経験や思想を絶対化し、状況の変化に耐えきれず、何も出来ない、静観しようといったネガティヴな気持ちを生み出します。逆に、これも(は)できるよね!という価値観は、自分の経験を絶対化するのではなく、状況の変化に対して柔軟であり、何かを生み出す積極的な気持ちを創り出します。そして、何よりも、神様の可能性に信頼しながら、失敗を恐れず、チャレンジする人格を生み出すことにもなります。
何もせずに、人生を終えるのも悪いことではありません。それぞれの思想や伝統を守ることも大切です。その一方で、神様から頂き、守られている命や賜物を、土の中に埋めるのではなく、神様の使命のために、十分に使い切り、神様への信頼を強く持ちながら、何かを自由に生み出す、という気持ちも大事にしたいと思うのです。私自身は、教会で決められた行事は、教会全体で自由に行っていきたいと思いますが、その一方で、私自身が、これを神様の栄光のために、あるいは、伝道の使命のために「やってみたい!」という気持ちも大切にしながら、来年度の歩みを考えていきたいと思っています。教会の皆さまにご迷惑をおかけしない程度に……(笑)。この地上での命は一度きりのものです。明日、終わりが来たとしても、私は、この命を100%で用いて、リンゴの木を植える者でありたいと思います。
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