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2025.11 須賀 工 (すか たくみ)
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「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り
聖なる山に住むことができるのでしょうか。」
(詩編15篇1節)
詩編15篇は、私達人間にとって、非常に耳の痛い言葉が沢山記されています。この詩人は、「どのような人が神と共にいられるのか」という大きな課題を持っています。
それに対して、「それは、完全な道を歩み」とか「舌には中傷を持たない人」などと、私達の日常を省みると、下を向きたくなるような言葉のオンパレードとなっているのです。「これじゃあ、誰も天国にいけない!」と怒りたくなるかもしれない。そもそも、詩人は、どのような気持ちで、この詩を歌ったのか…。いやいや、この言葉を与えたのは、神様でありますから、詩人自身も、あまり乗り気ではなく、超小声で歌ったのではないか…。あくまでも、想像でありますからお気になさらずに…。
旧約聖書・新約聖書は、神様の約束の言葉です。旧約聖書には、色々な約束の言葉が出て参りますが、すべてはメシア・キリストの到来を約束する言葉へと集中していると考えられます。それに対して、新約聖書は、到来したキリストを通して、復活や永遠の命を約束するわけですから、要するに、キリストの再臨を約束する言葉へと集中していくことになるわけです。いずれにせよ、聖書は、約束のキリスト(未到来→到来→再来)を証する、神様の御言葉なのです。
そうでありますから、この詩編もまた、キリストの光の中で、歌われ、読まれ、聴かれなければいけないということになるわけです。私達は、もう既に、主イエス・キリストを通して、罪から贖われ、神の御国を受け嗣ぐものとされています。その視点から申し上げるならば、私達は、この詩編から、自分の罪を知るだけではなく、到来のキリストを通して、その罪から解放され、もう既に、永遠の命の流れの中をいくものであることを再確認することができるわけです。だから、下を向かず、上を向いて、前進しても良いのです。
いよいよ、来年9月に日本基督教団主催の全国青年大会が、開催予定となった。微力ではあるが、実行委員のメンバーに入れて頂いた。この大会の趣旨は、私の言葉で言うならば、青年伝道というよりは、全国の青年クリスチャンたちが、それぞれの土地で出会い、交流をし、関係を深め、教会を元気するというものであります。自己肯定感が低い日本の青年層が、少しでも上を見上げ、前に進み、希望をもって再起・振起されることを願いつつ、上記にあるような、変わることないメッセージ・福音を届けられたらと祈っています。お祈りに覚えていただければ幸いです。
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