牧師コラム

 

第15回 心のまっすぐな人
2025.7  須賀 工 (すか たくみ)
  主は正しくいまし、恵みの業を愛し
 御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる。
  (詩編11篇7節)

 神様が「御顔を向ける」場合、それはその人が神様によって祝福されたことを表しています。詩編11篇においては、その「祝福」が「心のまっすぐな人」に与えられる恵みの賜物であるとしています。
 私の心は「まっすぐ」に主なる神様に向かっているだろうか。もし、このように信仰生活のセルフチェックをするならば、私は顔を上げることすらできません。それが、私自身の現実であると言わざるを得ないのです。
 私達は、決して、完全ではありませんから、心が分裂したり、曲がってしまったり、なくしてしまうということもあるかもしれません。心をまっすぐに神に向けることの方が難しいと思えてしまうのです。
 しかし、キリストの父なる神は、御子イエス・キリストをこの世に与え、私達を罪や穢れから解放し、私達を義(神様の目に適ったもの)としてくださいました。私達は、今や、キリストを通して、神様の祝福を得るものとされているのです。
 かつて、アブラハムに与え、ダビデに与えた祝福の約束を、キリストにあって、今、私達に与えてくださるのです。この大きな恵みの中でこそ、私達は感謝と喜びをもって、主の眼差しに応えて生きるものとされるのです。
 幼稚園の子どもたちは、時々、いたずらな笑顔でこう言います。「園長なんて大嫌い!」私は、すぐにその子に言います。「それでも、先生は、◎◎さんのことが大好きだからね!」すると、恥ずかしそうに微笑みます。神様と人との関係もこれに似ているかもしれません。
私達の罪の深さよりも、神様の愛が深い。その深い愛の中で、私達は、神様の眼差しに対して恥ずかしそうに微笑み返すのです。