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2025.5 須賀 工 (すか たくみ)
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「思い知らせてください
彼らが人間にすぎないことを」 詩編9篇21節
という激しい言葉で、詩編9篇は締めくくられています。詩人の目には、この世界の人間が、「人間」であることを忘れ、神になろうとしている姿が映っているのかもしれません。
現代社会においても、素晴らしい人格を持つ人、素晴らしい功績を残した人やその行為そのものを「神的」と言ったり、「神対応」と評価したりします。あるいは、人に何かをすすめる際には「これ絶対良いから!」と言うこともよくあります。「神」という言葉が、身近にあることは悪いことばかりではありませんが、人・人の行為・人の価値観が絶対化・神格化されてしまう世界は、正に、真の神を見失っている世界とも言い得るのです。
しかし、そのような人に関わる全てのものは、「永遠なるもの」ではありませんし、廃れ、滅びていくものです。昨日まで「神」と呼ばれた人が、翌日には見事に炎上したりすることもあるのです。人の価値観や評価は、そういう移ろいやすいものでしかないのです。
つまり、現代社会が「神」という言葉を乱用しているのは、それだけ人は他人からの「評価」を気にしすぎているからであるともいえるのです。
しかし、キリスト者は、他者からの評価を気にしすぎる必要はありません。社会で生き抜くためには評価が必要ですが、神様の御国の住民である私たちは、ただただ、キリストの贖いによって、神に義とされていることに大きな喜びを見出すことができるのです。それは、この地上にあって、本当の自由をもたらすことにも繋がるだろうと思うのです。人からの評価や人の目を気にせず、神様の子どもとして、神様の愛にあふれた眼差しの中で、この世界で自由に生きられるのです。
先日、教団主催の全国青年大会の打ち合わせを行いました。比較的若手の牧師4名が集められ、青年伝道に思いを馳せつつ、祈りをもって、実行委員会がスタートしました。様々なところで生きづらさを感じている現代の青年たちが、この大会を通して、自分たちが一人ではないことを知り、少しでも励まされ、自由にされ、それによって、日本の諸教会が元気にされていくことを望みたいものです。
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