牧師コラム

 

第11回 「神を避けどころとする生活」
2025.3  須賀 工
私の神、主よ、あなたを避けどころとします。

わたしを助け、追い迫る者から救ってください。

(詩編7編1節)

 

 2024年度最後の月となりました。この一年が、神様の御守りと教会員の皆さまの支えの内にあったことを覚え、心より感謝を申し上げます。

 詩編7編の詩人は、だいぶ窮地に追い込まれている様子です。周りを見渡せば敵だらけ。心も体も疲れ切っている様子が、この詩編からうかがい知ることができます。しかし、この詩人には、一人の味方がいました。それが「神様」でありました。ただ、神様だけが味方でいてくださる。それが、この詩人の生きる活力となっているようです。

 私たちもまた、日常生活の中で、この詩人のような苦い経験をすることがあります。人に言われたことややられたことで、深く傷つき、自分の存在を否定されたような思いに駆られてしまうことがあるでしょう。周りの人は、さほど気にしていないにも関わらず、人から嫌われているのではないか?と悩んでしまう人もいるかもしれません。

 しかし、どんな状況にあっても、私たちの味方でいてくださる御方がいます。私たちは、その方を避けどころとして、今日を生きて良いのです。

この詩人は、神様に、随分と激しく、敵対者に対する正当な裁きを望んでいます。私達は、このような事柄を祈り求めることが、むしろ、誤りであると感じるかもしれません。信仰者は、このようなことを言うべきではないと考えていないでしょうか。

しかし、この詩人は、あくまでも「神様に対して」裁きを望んでいるわけです。言い方を変えるならば、自分が敵対者と戦うわけでもなければ、他に味方を付けて、敵対者を裁いているわけでもありません。この詩人は、目の前の敵を主の御手に委ねているのです。人と人との関係を、主に委ねることを優先しているのです。これが、現代を生きる私たちにおいても、大切なことなのです。人間関係を、人間の価値観やレベルで白黒つける必要はないのです。神様に頼り、神様に委ねたら良いのです。そのことによって、私達は、気持ちを楽にしながら生きられるのです。

神様は、その敵意に対して、しっかりと裁きを行われます。但し、その裁きは、キリストが身に受けられました。そのことによって、人間の救いを実現されたのです。私たちは、今や、その救いの中を生きているのです。その救いの恵みの中にあって、どう生きるのか。これが、今、キリスト者一人一人に問われていることなのかもしれません。(すか たくみ)