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2024.9 須賀 工
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いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいにしたがって歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繫栄をもたらす。
(詩編一編1節~3節)
聖書が示す幸いなる人生とは、罪から解放され、神様の子どもとして、神様の御言葉によって生きることであると教えられている。その主の御言葉は、私達に真の幸いを約束し、全てのことを益とできる喜びをもたらすことになるのだ。
私達を取り囲む社会環境は、決して、幸福ばかりではない。あるいは、真の幸福を保証するものはない。むしろ、大きな不安や恐れを引き起こすものとなっている。それは、この世界が今もなお、神様の御言葉の外で繁栄を求めているからに違いないだろう。
私達の人生もまた、幸福ばかりではないだろう。しかし、私達には、私達の歩みを照らす御言葉のともし火が常に輝いている。この御言葉のともし火に期待をもって、信じて待ち続けることこそが、私達の信仰生活であると言える。人の言葉に惑わされることなく、ただ、ひたすらに、主の御言葉に全集中を傾けて生きられる時、人は絶望が終わりではないことを知り、その先に期待を持てるのである。
私はU50サーヴァンツ(50歳以下の神の協力者)という若手教職を中心とした小さな集まりの一員を担わせて頂いている。この会は、比較的若い教職の有志による集まりであるが、私達は、これまで、この会を通して、日本基督教団の過去を知り、今の課題を共有し、将来に思いを馳せつつ学びを進めてきた。コロナ禍においてもまた、オンラインを活用し、学ぶことを止めることはなかった。
先日、私達は、オンラインによって、二日間の会議を行った。今の教団の現状を、私達の視点から協議し、今後の教団形成に対して、祈りをもってヴィジョンを共有することができた。その結果、次年度、神学生を含む、現場に出て10年未満、50歳以下の若手教職を全国から集め、礼拝を捧げ、祈りを合わせ、問題を共有する集会を開催したいというヴィジョンが与えられ、実行に移すこととなった。コロナ禍によって、コミュニケーションが不足している若手教職と出会い、お互いを知り、問題を分かち合いながら、神の御業の協力者としての自覚を共に深める時が必要であると考えたからである。
これから先、教団の抱える問題は、更に深刻化していくだろう。しかし、そのすべての負荷は、若手の教職たちが、次世代の牧師として担っていかなければいけない。だからこそ、今の内から問題を共有し合い、協議し合い、教団の将来を自由にデザインしていく必要があるのである。過去から学びつつ、過去に縛られるのではなく、これからの教団形成のために、神と神の御言葉に立ち帰り、希望と期待を取り戻して、それぞれの場へと再び遣わされることに期待したいものである。我々、比較的若い教職?の一部は、教団の将来に絶望をみるのではなく、御言葉の下で、主に信頼を置きつつ、既に新たな光の輝きを見ようとしているのである。この会が主の御心に適ったものとなるように、共に祈りを合わせて頂ければ幸いである。
(すか たくみ)
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