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2024.7 須賀 工
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とても暑い日が続いた6月、幼稚園の子どもたちは、礼拝のある水曜日、雨天を除いて、毎日プールに入りました。園長・副園長も一緒に入り、子どもたちと水遊びをします。ひたすら園長に水をかけてくる子どももいます。泳いでいる姿を「見て!見て!」と言ってくる子どももいます。水が怖くて、先生につかまっている子どもいます。けれど、すぐに慣れて水遊びを楽しんでいます。気温が暑い日は、副園長が、ホースで「雨」を降らし、子どもたちは大喜びです。
暑がりの園長は、プールが大好きです。だから、全てのクラスが終わるまで、プールに入ります。けれど、最後は体が冷えたり、疲れたりします。プールの後は強い眠気に襲われてしまいます。暑い日に水は大切です。けれど、ある一定の時間が過ぎれば、体が水を受け付けなくなってしまうのです。
主イエス・キリストは、「飢え乾く者は幸いである」と教えてくださいました。既に、何かに満たされていれば、それ以上のものを受け付けることはできません。ですから、それらを脇に置いて、自分が常に飢え乾いていることを覚え、ただ神様に命の水を求めるものでありたいと思うのです。水に当たりすぎると、体から水分が奪われることもあります。満たされていると思いながら、実は乾いているわけです。その乾いている状態を自覚し、決して乾くことのないキリストによる命の水を今日も頂きたいと願うのです(ヨハネによる福音書4章14節以下)。
(すか たくみ)
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