|
倉田 彩子 |
どこかでお話ししたことがあったかも知れませんが、私は越谷幼稚園の卒業生です。
あの頃は木造の園舎で、今と同じように中央にホールがあり、そこでみんなでお祈りをしている写真がアルバムに残っています。
職員室の横の廊下は礼拝堂へ続いていました(たぶん…)。いつでも行ける場所ではありませんでしたから、そこへ行ける時はなんだかワクワクしたことを思い出します。こうして幼稚園時代を過ごした私は、卒業と同時に賛美歌を歌うこともお祈りをすることも御言葉を聞くこともすっかりなくなってしまいました。それでもそんな私のことを覚えていてくださる先生方は、久伊豆神社のお祭りで出会うと、混雑の中でも足を止めて「あやこちゃん」笑顔で声をかけてくださいました。
それから十数年後、保育の道を目指し就職の年が近づいていた私は、またイトーヨーカ堂でお会いした先生に「あやこちゃん就職は決まったの?」と声をかけていただき、試験を受けることになり、越谷幼稚園で働かせていただくことになったのです。
今になって思うのです。離れていった私を神様はずっと見ていてくださって、あの時もあの時も「あやこちゃん」と神様が名を呼んでくださったのだと。
就職して三年目を迎える春に私は受洗しました。何も分からなかった私は子ども達と一緒に神様に心を向けて行ったように思います。子ども達がいなかったら、私は神様に出会い信じる者にはなれなかったと思います。以前私に教えてくださった方がいます。「神様はその人が一番分かりやすいかたちで、神様に出会わせてくださる」と。本当にそうでした。神様ありがとうございます。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケの信徒への手紙一 5章16節~18節)
私はこの御言葉が好きです。とうていできることではないのですが、でもこうあることができたなら、なんと幸せなことだろうと思うのです。
幸いなことにこの年齢になった今も、神様は私を子ども達の傍らに置いてくださって、毎日笑い喜ぶことができ、祈ることができ、「ありがとう」と声にすることができています。神様本当にありがとうございます。これから私が歩む道はどんななのかは神様しかご存じありません。御言葉のようにと思いながらも、きっとその時々に不平不満をブツブツと言うことでしょうがお許し下さい。あのこともこのこともどのことも、すべて神様が与えてくださる必要なことだということはなんとか分かってきました。こんな私ですが、これからも神様の恵みの中で生かされていることに感謝して、一生懸命歩んで行こうと思います。
|
(くらた あやこ)
|
|
N.T
|
これは神の恵みだと思う時はどんな時でしょうか。家族とのふれあいの時、仕事が順調な時、悩んでいた問題が解決した時、幸せな場面で恵みを感じますが、困難にあっても恵みを感じられるのでしょうか。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一
5章16節~18節)とパウロは語っています。
そんなことは土台無理だと思えてしまいます。酷い困難にあうと、恵みを忘れ、あまつさえそれまでの恵みが、サタンの誘惑だったのではないかとも思えてしまいます。困難の中神様の恵みを忘れず、感謝を持つことはできるのでしょうか。答えはパウロの言葉の中にすでに書いてあります。「祈りなさい」「キリスト・イエスにおいて」イエス様をとおして神様へ捧げた祈りに対して、神様は聖霊の働きをもって私たちに答えられます。その答えこそが神様の御心です。イエス様を証しする聖書、その福音を味わい、イエス様をとおして祈り、聖霊の働きによって神様の御心を理解する。そして聖書の言葉が真実であるとの確信を得させ、神様の恵みがイエス様の贖いによって約束された揺るぎないものであることを知るでしょう。
昨年十月に信徒奨励の機会を頂きお話ししましたが、昨年の急激な円安で私が経営していた会社は倒産しました。円安が大きな要因ではありますが、自分ひとりで抱え込んでしまう上に、臆病な性格の私は会社経営には向かなかったのでしょう。その窮地の中、私にできたことは、答えを求めてむさぼる様に聖書を読みただ祈ることでした。自暴自棄になり自らの命を絶つことも考えたりもしましたが、支えとなったのは、私の家族と越谷教会の皆様、そして、親身に祈ってくださり、その後の道を示してくださった石橋牧師は私の命の恩人と言っても過言ではありません。石橋先生、本当にありがとうございました。
そして遠くアメリカでも私の大学の時の恩師とその家族が支えとなってくれました。癌の闘病中だった恩師の長女のブログは、私の光でした。何度も私の暗く沈んだ心を明るく照らしてくれました。彼女のブログには、どんな時でも喜びをみつけ、神様への感謝があふれ、愛の祈りが込められていました。彼女は、パウロの書いた御言葉が真実であることを教えてくれました。イエス様こそ私の救い主であり、御言葉は真実であるとの確信こそが恵みです。アーメン。 |
(N.T)
|
越谷教会月報みつばさ2023年2月号特集
「神の恵みに生かされる②」より
|
|