今月の特集題
  
-神の業を見る-

神の恵みに生かされる①




まさひろのナゾ
薩摩 雅宏
 「主の恵みに生かされる」というテーマですが、私の経験で本当に生かされたことがあります。
 お墓参りに行くと、いつも不思議な気持ちになります。お墓には、私の祖父母・両親の名前が墓誌に刻まれています。そして、叔父の名前です。私の父は、四人男兄弟の長男です。墓誌に名前が刻まれているのは、父の二番目の弟の「昌宏」という名前です。戦争中に生まれて三歳で亡くなりました。父は、三歳で亡くなった弟の名前を私につけたのです。それだけなら良かったのですが、ある大事件が起こったのです。
 私は三年保育で越谷幼稚園に入る予定でした。しかし、三歳の時に交通事故に遭いました。私のアルバムには、入院中の写真の下に当時の新聞記事が残っています。その見出しは、『鴻巣で園児死亡越谷では幼児重体』というものです。重症じゃなくて、重体です。左足大腿骨骨折、耳からは出血していたそうです。祖母は、そんな私を見て「まさひろなんて名前をつけるからだ」と叫んだそうです。自分の息子が三歳で亡くなり、孫が三歳で亡くなりそうになっているのですから。(ちなみに事故の原因は、その新聞にも載っているのですが、「雅宏ちゃんの飛び出し」なのです)。蒲生駅前の名倉医院に入院しました。入院中の記憶はほとんどありません。良くなって少し歩けるようになってから、私の記憶は始まります。
 一年遅れて二年保育で越谷幼稚園に入園しました。入園の時の強烈な記憶として残っているのが私に合う帽子が無かったことです。特別注文の「特大」でした。これだけ頭が大きかったから耳から出血しても大丈夫だったのかもしれません。(小学生の頃、耳掃除をしていると、小さい石が血の塊のように出てくることがありました。今でも帽子探しに困っていますが)。
 もしかしたら三歳で亡くなっていたかもしれない命が今も生かされています。神様が私にやるべき仕事が有るからと守ってくださったのかも知れません。幼稚園に入園して、そのままずっと教会学校に通い、高一のクリスマスに洗礼を受け、大学生になると、教会学校の教師に。二十代の若い長老になり、重体だった私は今日も主に生かされて教会に通っています。
 事故後の私は、すべてを天に任せてもいい様な感じがしています。それこそ主の恵みを受けつつ歩んで行こうと思います。これからの人生も天に召されることも神様に 任せようと思っています。きっと、神様も悪いようにはしないだろうなぁ。
(さつま まさひろ)


神様のお守りの中で
豊川 朋子
 昨年10月、義母が天に召されました。以前、主治医の先生からは「110歳まで大丈夫ですね」と言われていたのですが、春に血液検査で貧血が分かり「体のどこかから出血の可能性がある」と言われました。101歳の年齢を考えると、これ以上の検査は体に負担がかかるので、血液サラサラの薬は止めて様子を見ることになりました。
 それから義母は、だんだん食欲不振になりました。家族で相談して、最後まで家で看取ろうという事になり、今までの訪問看護に加え、訪問医療の先生にも来ていただく事になりました。
 8月、義母の様子が急変しました。訪問看護師さん、訪問医療の先生に診ていただき脳梗塞の疑いがあるので、病院に救急搬送されました。先生から脳梗塞と診断され、「すぐに血栓を溶かす点滴をするか決めて下さい。タイムリミットは十分です」と言われました。強い薬なので義母の体は耐えられるのか、リスクを考え決断しなければなりません。「神様、私たちに正しい判断が出来るようにして下さい」。心の中で祈りました。そして勇気を出して点滴をしてもらう事にしました。点滴の後、義母に会うと話も出来るように回復していました。その後、入院準備のため病室に行った義姉から「お母さんの様子がおかしかった。反応がなく、耳も聞こえていないみたい」と言われ、不安を抱えたまま家に帰りました。
二日後、病院の先生から電話で「お母さん元気になりましたよ。ゼリー食べていますよ」と連絡があり、家族皆で喜びました。
 退院後、主治医の先生から「お母さんとの残された時間を大切に過ごして下さい」と言われました。今のうちに出来る事をやっておこう。まずは、暫く入ってなかったお風呂に、訪問入浴で入ることが出来ました。義母は「最高です」と喜んでいました。次は義父の百歳のお祝いです。義母の思い出の中華料理などを並べ、子ども達や孫も呼んで賑やかにお祝いする事が出来ました。
 義母の口癖は「大丈夫」と「ありがとう」で、ほとんど静かに寝ています。そんな義母ですから、訪問介護の人たちは皆さん優しく接して下さいました。二ヶ月位ほとんど食べる事が出来ず、水を飲むのも大変な様子でした。亡くなる数時間前、私が義母の耳元で「神様が守って下さっているから、お母さん大丈夫だよ」と言うと、義母は頷きました。最後は眠るように天に召されていきました。全てを受け入れて生きる義母の生き方は、家族にとって生き方のお手本になりました。
(とよかわ ともこ)

越谷教会月報みつばさ2023年1月号特集
「神の恵みに生かされる①」より



特 集