今月の特集題
  
-神の業を見る-

幼子を見つめる




いつも笑顔
土屋 恵子
 私は日々子どもたちと出会い向き合って過ごせる喜びを感謝しています。
 一週のはじまりを越谷教会の礼拝から歩み出せることも大きな支えになっています。24年前他界した夫が病床に入ったと同時に保育への復職の誘いがあり迷っている私に「私が笑顔でいられるなら迷うことはない」との励ましに背中を押されて来た気がします。
 定年を迎え昨年より再雇用で引き続き働き始めた数か月後、帰宅中に北越谷の駅にて、うつ伏せで転倒して右上腕二カ所を骨折しました。頭をよぎったのはその数日後に行くアーティストのコンサートでした。仕事のことでないことが自分でもビックリです。手術も翌週でしたので、痛み止めも効いて三角巾で手を支え友人の力も借りてコンサートを静かに楽しんできました。怪我の大変さを実感しました。
 「自分の生活が出来るようになってから仕事のことを考えましょう」と医師に言われて週2回のリハビリも電車で通いました。
 家事の大半は片手でゆっくり時間をかけて進め、気づくこともたくさんありました。        その間たくさんのお祈りと励ましの言葉に支えられる中、季節も巡り半年の休職を経て今年一月より職場復帰できました。
 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙15章16~18節) 神様はいろいろな事に向き合う時を与えて下さったのかな?と勝手に思っている私です。
 コロナ禍三年目にあって、子どもたちと荒川土手の散歩や周辺の公園に行って遊び楽しく過ごしています。それだけではなく子どもの表情や心持ちを汲んで寄り添い、優しく抱っこしたり、話を聞くことも大切にしていくことが求められています。
 職場でもICT化が導入され、保護者のスマホタッチで登降園を各クラスの端末で確認し家庭より子どもの姿も配信され、日中は子どもの様子を端末で入力し動画をドキュメンタリーで夕方の時間に開示しています。子どもたちは大人の姿を目の当たりにしている中で安心感を持った丁寧な関わりは最も大切です。
 ― 絵本 かみさまからのおくりもの ―
 あかちゃんがうまれるとき、かみさまはひとりひとりのあかちゃんにおくりものをくださいます。かみさまからのおくりものは、てんしがはこんでくるのです。
 子どもたちの与えられた個性に気づいて、自分が好きな人が好きと言えるようにと願い、目に見えない大切なものを子どもたちが発達をたどり成長していく姿を信じて、マスクの下はとびきりの笑顔で与えられた場所と時間を大切に幼子たちと過ごしたい。
(つちや けいこ)


子どもが気づかせてくれたこと
一柳麻依子
 みつばさの原稿を引き受けたものの、何を書いたらよいのか頭をかかえてしまいました。なぜなら、初めての子育てに奮闘しているうちに、2022年は礼拝の出席もままならず、家で聖書を開くこともなく過ごしてしまったからです。
 私は今年の年頭に男の子を出産しました。今までとは180度変わり生活のすべてが子ども中心の日々、子どもを見つめ、育児をする中で感じたこと、そして親になってほんの少し気づけたことを書かせていただきたいと思います。
 我が子を見つめる中で感じたこと、それは一心に私を求め、信じ切って、全身をゆだね切って、そして愛してくれているということです。赤ちゃんは、お腹がすいた、おむつを替えてほしい、眠い、遊んでほしいなど様々なことを泣いて知らせてくれます。そして、全身で一生懸命に母を求めます。その様子を見て、こんな風にただただ一心にイエス様を求めればよいのだ!と、我が子が私を求める姿に教わりました。
 今までイエス様を信じる気持ちと信じることのできない気持ちの間で揺れ動いたこともありますが、我が子が私を求めるように、私もイエス様を信じ求めればよいと気づかせてくれました。
そしてもう一つは、親という立場になって気づいたことです。私たちは神様の子どもとされたと言われます。親の子に対する愛情や想いを実際に母になって初めて実感し、子どもとされたというのは本当にすごいこと、大きな恵みなのだと改めて気づかされました。マタイによる福音書7章に「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。・・・まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」という御言葉があります。できれば経験したくないことを経験しなくてはいけない時があります。つらく悲しい試練に遭うと、どうしてこんな経験をしなくてはいけないのかと恨めしくさえ思います。そんな試練の渦中にいる時には気づくことは難しいですが、神様の子どもとされたなら、どんな経験も神様が与えて下さった最善の道なのだと信じることができるようになりました。
 小さな小さな赤ちゃんだった我が子ですが、日々の育児に夢中になっているうちに時間は飛び去るように過ぎ、今、目の前の息子はすっかり成長して体重は3倍以上になり、歯は6本生えて、つたい歩きをしています。歩き出す日も近そうです。重湯ひとさじから始めた離乳食は、今では野菜もお魚もお肉も食べられるようになりました。もうすぐ一歳になる息子は、目覚ましい成長ぶりを見せてくれています。
 私の信仰の成長は息子のようにはいきません。離乳食でいえばまだまだ重湯ひとさじの状態かもしれませんが、御言葉に触れることを心がけて、イエス様に支えてもらいながら子どもと共に日々の生活を送りたいと願います。      
(いちやなぎ まいこ)

越谷教会月報みつばさ2022年12月号特集
「幼子を見つめる」より



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