今月の特集題
  
-神の業を見る-

み言葉に委ねる




礼拝と食一色の日常
池田 和美
 今回、原稿依頼をいただいて、 さて、どうしましょう! (特集題に沿っていない事をお許し下さい)。これまでの自分を振り返ってみました。
 下の子が社会人になったのを機に50歳直前に食の専門的な学びに飛び込んだこと。さらに30年以上前、越谷のことを全く知らなかったにも拘らず、長男の入園を越谷幼稚園に決めたこと。優柔不断で迷ってばかりいる自分なのに、これらは即決でした。神さまが道を開いてくださったからに他なりません。はっきりと確信しています。
 越谷幼稚園で多くの“私の基”を造らせていただいた後、今私は幼い子ども達の給食作りをしています。調理は大好きだけれど、様々な事があり、心が折れてしまったこともありました。けれど、あの時のあの試練はここに繋がっていたのだなぁと、後になって思えることがほとんどです。もし私が神さまを信じる生活をしていなければ、きっと他者と自分の二方向だけです。でも、“神さま、このことはどういうことですか?”と常に三方向で私の生活は成り立っています。嬉しいこともそうでないことも、すべてその事柄やその方々と私の真ん中に神さまが存在してくださっている日常に感謝の思いです。礼拝の席に着き、お話を聴き、賛美すると、直接の応答ではなくても、あっ、そういうことなのだと気づかされ、すべてが解決される日常を積み重ねられています。
 また家族が野菜作りをしているため、収穫されても買っていただくには申し訳ない不揃いな野菜たちを置き去りにできず、仕事でも家生活でもひたすら調理ですが、楽しいです。
 小さい頃から食に興味があり、家族ができてからは何をどんなふうに食べることが大切か考え続けていました。学んだ後今度はそのことを伝えたいと思うようになりました。そんな私を、神さまが出会わせてくださった方が強く押し出してくださって、5年前からわが家で食事会をしています(コロナ禍で長く中断していましたが、そろそろ再開の兆しが見えています)。孤食、偏食、食料自給率、食の問題は果てしなくあるけれど、バランスの良い食事を共にテーブルを囲むこと、笑顔で時間を共有することを大切にしている食事会です。尊敬する佐藤初女さんは、青森の地で心の重荷を負っている人に心を込めておにぎりを作りました。決して同じようにはできないけれど、心を込めて、ていねいに食材に向き合いたいです。
 私には想像することすらできない大きな神さまの愛の中で、“神さま、これでいいですか?”と問いながら、祈りながら、食一色の日常を歩んでいきたいと思います。
(いけだ かずみ)


ヨブの応答
岡林 信雄
 「み言葉に委ねる」言い換えると「神様に委ねる」となります。イエス様はサタンの試みを受けられた時、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命記8章3節)を引用して「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイ4章4節)
 十字架上のイエス様は、まずご自分の「霊」を父なる神に委ねられました。「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、私の霊を御手にゆだねます。』・・・百人隊長はこの出来事を見て、『本当に、この人は正しい人だった』と言って、神を賛美した。見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。」(ルカ23章46~48節)
 イエス様が教えられる以前、旧約時代にも自分の身をサタンに苦しめられ迷いながらも神様に委ねたヨブの例があります。
 ヨブ記1章1~3節に記載されているように、ヨブは財産があり、東の国一番の富豪であった。この様な彼がサタンによってその息子・娘・財産を無くし更に頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。「彼の妻は、『どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう』と言ったが、ヨブは答えた。『お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。』」(ヨブ記2章9~10節)
 このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。さて、ヨブと親しい三人の知人はこの現状を見て「応報思想」によりヨブに問答を挑んだ。しかしこの三人はヨブに答えるのをやめた。「ヨブが自分は正しいと確信していたからである。」(ヨブ記32章1節)
 新たにエリフが論争に登場し、あいさつ代わりの怒りの弁を終えた後、ヨブが自分は正しいと確信し、神はわたしに対する不満を見いだし、わたしを敵視される。に対して「ここにあなたの過ちがある、と言おう。神は人間よりも強くいます。なぜ、あなたは神と争おうとするのか。神はそのなさることを、いちいち説明されない。神は一つのことによって語られ、また、二つのことによって語られるが、人はそれに気がつかない。人が深い眠りに包まれ、横たわって眠ると、夢の中で、夜の幻の中で、神は人の耳を開き、懲らしめの言葉を封じ込められる。人が行いを改め、誇りを抑え、こうして、その魂が滅亡を免れ、命が死の川を渡らずに済むようにされる。」(ヨブ記33章12~18節)
 その後、神の弁論に対するヨブの応答及び彼の行為を見て、神はヨブの境遇を転換し以前に増して祝福されました。私もヨブのように「み言葉に委ねる」生き方をしたいと思います。さらに「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」との祈りは付加したいと思います。
(おかばやし のぶお)

越谷教会月報みつばさ2022年10月号特集
「み言葉に委ねる」より



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