今月の特集題
  
-苦難の中の喜び-

恵みに支えられて




奇跡のただ中を
関口 幸子
 今、自分の人生を振り返ってみると、私の人生はイエス様に出会う旅だったと思います。いつも逃げてばかりでした。仕事も趣味も好奇心ばかりで「三日坊主」の繰り返しでした。
 それでも礼拝だけは守り続けられました。無意識の内に魂が安らぎの場所を知っていたのだと思います。それよりも神様が私を捕らえていて下さった、倒れそうな私を抱え、支えていて下さったのだと思いました。
 27歳で大阪の北田辺教会で受洗してから、私の信仰生活は疑う事から始まりました。「神様は本当にいるのか」「イエス様の復活は本当にあったのか」この事は私にとって大問題でした。クリスチャン一世だからというより、きっと私の性格が疑い深かったのでしょう。
 そんな思いを抱えながら、その後私は大阪教会に転会しました。
 「十字架」しか語らないと言われた市川恭二先生から「十字架のイエス」の事を叩き込まれました。入門講座のお世話係として求道者と一緒です。
 神様は人間を愛するためにイエス様を遣わされた事、その人間の、私の罪を贖うために神様はイエス様を十字架にかけられた事、涙が止まりませんでした。この私の罪を赦すためにイエス様は身代わりになられたのです。人の身代わりになって死ぬなんて常識では有り得ないことです。
 その後、私はある神学部で夜間の聴講制度がある事を知り、聴講に通いました。そして1年後、夜間神学部に入学し働きながら勉強しました。経済的にも支えられ、専攻科にも進みました。しかし何とか卒業はできたものの、夜間高校卒の私の学力ではそこまでが限界でした。それ以上の気力はありませんでした。私にとって神学部で学べた事は大きな恵みだったと思います。
 卒業してからは補習塾の仕事をしながら、大阪教会で礼拝を守りました。
 その数年後、父が亡くなり、母の懇願もあり、私も大腿骨を骨折してしまい、実家に戻りました。それからは大阪教会に繋がりながら、平日は仕事をし、土日は母との生活を続けました。
 十年以上の礼拝生活のブランクの後、母を天に送り、私はやっと2007年のイースターの朝、越谷教会に転会を赦されました。礼拝を守れるのです。私は魂の平安に涙が止まりませんでした。石橋先生は何でそんなに泣くのだろうと思われた事でしょう。
 これまで私はいつも自分の人生を求めて来ました。そんな私の人生は実は洗礼を受けた時から主の御業は始まっていたのです。すべてを益として下さる神様のご計画のうちにあったのです。
 そして何より三日坊主だった私が、今まで信仰生活を続けられた事は神様のお恵み以外に考えられないのです。それをもし奇跡というのであれば、私は今までも、そして今も、奇跡のただ中を生きてきた、生きている、と言えるでしょう。
 そして、これからも奇跡のただ中を愛する人と共に生きていきたいと思います。    
 溢れるほどの主の恵みにただただ感謝します。  
(せきぐち ゆきこ)


空の鳥に励まされて
横田 和広
 私はシジュウカラの鳴き声が好きです。
 コロナ禍で在宅勤務が多くなり、家の周りに目を向けることも多くなりました。あの小さな体で、あの大きな透き通る声を聞くと、口元に笑みが生じます。
 それまで30年勤めた会社を55歳で早期退職し、ハローワークや民間紹介会社に登録し、再就職し続け、今5社目です。その都度、次見つかるだろうか、との不安の中に居て、でも、神さまは必ず次を与えてくださると固く信じ、活動を継続してまいりました。
 会社に所属していない“フリー ”な状態になったのは初めてでしたから、1社目は焦って入社を決めてしまったものの、仕事内容が募集と違うブラックで、3ヶ月で辞めました。2社目は技術的には面白かったのですがパワハラ会社。3社目は、会議中に物が飛ぶとんでもない所。まあ、神さまは導いてくださいますねぇ。4社目は理研内ベンチャーで、そこで越谷教会員の方と再会したんです。いやぁ、神さまはホント、導いてくださいますよ。でもそこも3年で事業閉鎖。その時に知り合った方の紹介があり、今は5社目。神奈川県厚木市で働いています。やっぱり神さまはその都度、導いて下さいました。
 ある意味、神さまは、この世の現実を見させてくれたんだろうと正直思いました。30年在籍した会社はそれなりの企業だったし、ほとんどは常識的な方々ばかりだったけど、この世には居やすい職場ばかりではないんだよ、と。
 各社を離れる時はハラハラはしましたが結果的に次の居場所も神さまによって用意され、自分の事だけ捉えれば“導かれました”なんですが、残った同僚達の事を考えると、簡単には片付けられないものがあります。正直、あの“理不尽”に耐えなければならないのって大変だなぁ、もっと言うと、意味あるのかなぁ、とも。更に言うと、耐えられる方こそ「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マタイによる福音書24章13節)に値するんだろうなぁ、とも思ってしまいます。耐えられない私にはイエス様からの慰めの言葉が必要なんですね。
 話は実利の方向に向かい過ぎましたが、世のサラリーマン達はこんな事で悩んでいます。そのような現実の中でイエス様の事を宣べ伝えて行くのがクリスチャンの使命なんですが、なかなか出来ませんね。シジュウカラのようにのびのびと透き通る声で鳴くことはできなくても、シジュウカラの鳴き声は透き通っているよ、聞いてみよう、くらいは証していきたいですね。
(よこた かずひろ)

越谷教会月報みつばさ2022年4月号特集
「恵みに支えられて」より



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