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今野 茂光 |
洗礼を授かって10年が経ちました。最初に教会の玄関を入ると、貴田長老が笑顔で出迎えて下さいました。初めてだと話すと親切に接して下さり、いろいろ教えていただきました。いまは、志木教会に通われていることを聞いています。コロナが一段落したら、ご挨拶に伺わさせていただこうかと思っています。
その後の一年半は、主礼拝に出席させていただき、礼拝堂の2列目、貴田長老の隣にチョコンと座させていただきました。10年前のイースターのときに、石橋牧師に洗礼式を行っていただきました。
現在は、主に、第一礼拝に出席しています。日曜日の6時半に起床して7時過ぎに自宅を出て、7時40分頃に到着します。それが日曜日の日課になっています。礼拝堂に入ると、一週間の反省と家族が無事に過ごせた感謝のお祈りをしてから、礼拝に臨んでいます。
この寄稿を機会に、これまでは、受け身でやってきましたが、これからは、主体性をもっていこうと思っています。モチベーションを維持するためにネットの名言集を検索したところ、「暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう。」のぴったりの御言葉を見つけました。これまでは、何事においても人任せにすることがありましたが、これから先は、この御言葉を念頭において自身を向上させていこうと思います。
わたくしも今年で63歳になります。2年後には年金生活に入ります。昨年の8月には女の子の孫が生まれました(自分の孫はかわいくて、土曜日になると、住んでいる上尾まで一時間かけて通っています。爺バカですね)。わたくしのような者でも、こんなことを経験させていただき、神様にはとっても感謝しています。これからは、いつ最後を迎えても思い残すことがないように過ごしていきたいと思います。また、聖書に書いてある御言葉を少しでも多く理解し、日々の生活に生かせるようにしたいです。日曜日の早朝に起きて、第一礼拝に通う日々が、これからも続けられるように頑張っていきたいと思います。
最後に、越谷教会の方々には、わたくしのような者を受け入れていただきありがとうございます。これからも毎日曜の朝に教会に通わせていただきますのでよろしくお願いいたします。 |
(こんの しげみつ)
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N.I
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今回「朝を迎える喜び」というテーマを頂いたのですが、私は幼少時から起きるのが大変苦手です。とにかく眠たい。寝ていたい。起きなくて良いなら昼まで寝ていたい。そうすれば満ち足りた幸せな気分で起きる事ができますが、それはもう「昼を迎える喜び」ですよね…。
本来キリスト者なら新しい朝を迎えられた喜びを神に感謝して、その日の一歩を踏み出して行く、と云うのが理想だと思います。が、私の朝の一歩は起きる事への苦痛でいっぱいという有様です。こんな私ですが悲観はしていません。なぜなら成長していますから。
子どもの頃の私は何度起こしに来ても全然起きず、母の手を相当煩わせました。あまりの寝汚さに中学の修学旅行の朝に寝坊してバスを数分待たせるという事をやらかしました。でも人間一度は痛い目に遭ってみるものです。それはもう反省した私は、どうしたら一人で誰にも迷惑を掛けずに起きられるのかと模索し努力し、今は一人で起きられる様になりました。そこに朝を迎える喜びがあるのかと云われれば無いのですが。ただ不安や不満もありません。起きる事が辛いだけで日々は満ち足りているのです。
しかし子どもの頃は不安な日々でした。私は「人はいつ死んでもおかしくない」と思ってたので、それがいつ私の大切な人に降りかかるのか怯えていました。なので、その不安を無くす為に夜寝る前に神様に祈るのが習慣でした。というより祈らないと眠れなかったのです。しかし祈れば安心して寝る事ができました。神様に祈れば大丈夫と信じていたからです。子どもながらの単純で無知のなせる想いからくる信仰でしたが、結果私は安眠を得る事ができました。なので未だに不思議なのですが、神様がいなかったら皆どの様に子ども時代の不安を取り除いてきたのでしょうか?夜、不安で押し潰されそうになったらどうしてたんでしょうか?…もしかしたら、不安な夜を過ごす人には朝を迎える事はとてつもない喜びなのかもしれないですね。そう考えれば私が朝を迎える喜びが殆ど無いのは仕方ないのかもしれません。
殆どと書きましたが、実は最近朝を迎える喜びを少し知ったのです。昔は一度寝たら朝まで起きなかったのですが、歳と共に膀胱が弱体化したらしく無視できない尿意に最近5時頃目覚めてしまう事があります。それ自体は忌々しいのですが観念して起きようとうっすら目を開けると、顔横や腕に温かいもっふもふの毛がぴったりくっついているのが見えます。10年前から家族になった猫です。猫に寄り添われて起きる朝は堪らなく幸せな気持ちになります。6時頃になると猫は起きてしまうので、5時頃にそっと起きないと得られない喜びですが。
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(N.I)
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越谷教会月報みつばさ2022年3月号特集
「朝を迎える喜び」より
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