今月の特集題
  
-苦難の中の喜び-

クリスマス




子どもたちと共に
長尾 愛美
 今回「クリスマス」の事について、みつばさの原稿の依頼を受けて、すぐに去年の年中少クリスマスページェントを思い出しました。私は、年少組の担任だったため、初めてページェントをお捧げするこの子たちにどんなふうに「クリスマス」の意味や、イエスさまがお生まれになって下さった事を伝えようかと頭を悩ませました。そして、どうにか幼稚園で過ごせるようになったこの子たちが、ページェントを通して色々な事を学び、世界が広がり、お心豊かになるように…と先生方と毎日話し合いながら、ページェントをお捧げする日々を過ごしました。ページェントを終えてお部屋に戻ってくると「あぁ楽しかった」の声や「次もひつじやろう」などそれぞれがちゃんとページェントに向き合ってる姿が見えました。
 そんなある日、主任のゆうこ先生から、ページェントは「劇」ではなくお礼拝として考えること。「役」ではなくて、どんな人、どんな動物になりたいのか。「せりふ」ではなく、その人の「ことば」なんだという事を教えていただき、一生懸命何か形にしようとしていた自分が恥ずかしくなりました。
 ある日のページェントで、ろばをやっていた年中の男の子が馬小屋に着いたとたん、四つんばいのまま、ほほをホールの床につけてしまったのを見て、具合が悪くなったのかなと思い声をかけたら「つかれちゃったの」と言いました。私は静かなページェントの中で、たくさんの力を使ってその男の子が疲れてしまったのだと一瞬勘違いしましたが、そのあとも体勢を変えながらゴロゴロするのです。でもその表情は、真剣で。そこでこの子は、ろばになり切っているのだと気付きました。ヨセフやマリアを支えながら長い旅をして、何軒も宿屋さんに断られ、やっと馬小屋に案内されたろばが「つかれちゃったの」だと。その後も最後の♪みてごらん♪で馬小屋にみんなが集まって来る所では、ローマ兵さんがまさしくローマ兵になり切って、手足をあげて行進しながら階段を降りてくる子がいて、最後の最後までお気持ち途切れずページェントに向かう姿に驚きと感動をもらいました。
 今年のキリスト教保育連盟の夏期講習会で、子どもというのは大きな力が生まれながらにあり、宿されている力が前に行くのをサポートしていくのが保育であり、むしろ目覚めなければならないのは私たち大人なのだという言葉が心に残りました。まさに、去年のページェントそのものだと思いました。子どもにとって何が面白いのか、隣に座り同じ目線で、見て聞いて感じ取っていきたいです。今年のページェントは、どんな物語があるか今から楽しみです。
(ながお あいみ)


クリスマス
薩摩 愛徒
 クリスマスってどんな日と聞くと、子どもはサンタさんがトナカイが曳くソリに乗って世界中でプレゼントを配る日と答えるでしょう。実際私も小さい頃はサンタさんを信じていたし、プレゼントのリクエストの手紙を書いて家のポストに入れといたものです。
 なんて純真な子どもだったのでしょう。
 聖書でも天の国はこのようなもの達のためにある的なことが書かれています。イエス様はこのとき目の前のことを疑わない心を持つことが大切と説いてるのではないかなと私は思っています。そして成長することに伴って物を疑うようになる心の陰が大きくなり、人を信じることが出来なくなってしまいます。もちろん政治家のように言う事だけ立派で全く行動しない人たちの行いを信じろというのは難しいことではありますが。
 思春期を越えたあたりからクリスマスは恋人と過ごす日という認識が強くなってきます。周りの雰囲気がなんか甘くなってきて街中がイチャコラするカップルで溢れている気がします。
 30代から50手前くらいだとクリスマスは家族で過ごす日という認識でしょう。もしかしたら年末で忙しいのに子どものプレゼント探しやクリスマスパーティーをするために仕事のスケジュールを詰めたりと大忙しかもしれません。
 高齢になるとクリスマスなんて関係なくただただ今年ももう終わりか程度の特別な日ではなく、ただの日常になっていくのかもしれませんね。                     
 とはいえこれはあくまで一般的なお宅のクリスマス。教会に連なる人にとってクリスマスとはとても特別な意味を持つ日です。
 イエス様がお生まれになった日です。
 神様の力で聖霊により宿り、宿屋が空いていなくて馬小屋で生まれたイエス様。この後いろいろな人が訪ねてくるわけですがそのことは母マリアさんは心の中に納めていたと聖書に書かれています。
 私は一つとても気になることがあります。それはマリアさんの夫ヨセフさんのことです。イエス様が宿り、生まれるまで彼は何を思っていたのだろうか。
 婚約者がいきなり身籠って、自分の子ではなくて、別れようと思って、夢で聖霊によって身籠ったから問題ないと告げられ、登録のために上って行ったら宿が空いてなくて、仕方ないから馬小屋で過ごそうと思ったら奥さんが産気づいて、無事生まれて良かったと思ってたら知らない人たちが来て拝みだして、高価な贈り物もらって。
 私がヨセフさんなら終始アワアワしていると思います。どうしたらいいかなんてサッパリです。
 みなさんはこの時のヨセフさんは何を思ってたと思いますか?
(さつま まなと)

越谷教会月報みつばさ2021年12月号特集
「クリスマス」より



特 集