今月の特集題
  
-苦難の中の喜び-

伝道の秋




繋がれるバトン
赤出川清子
 じつは、本稿の依頼を受けたものの、嫁いでから教会へ通うはずがだんだんと遠のくばかりの私でいいものかと悩みました。でもこれは神様からの試練と喜び、ここに書かせていただいています。
 石橋牧師に司式をしていただいてから、今年の9月で34回目の結婚記念日を迎えることができています。神様からお預かりした二男一女も成人し、それぞれの道を歩んでいます。子どもたちはキャンドルサービスを楽しみにしていたので、小学生までは一緒に守ることが出来ました。キャンドルサービスが終わると、クワイの夜なべ仕事をしている両親のところへ行き、クリスマスケーキを食べてプレゼントをもらうのが恒例で今となっては楽しい思い出です。
 さて私の名前の由来は、越谷教会の初穂の一人となった曽祖父の清蔵の一文字をもらい、清子と名付けてもらいました。 
 曽祖父は、路傍伝道のため舟で移動していたグリング宣教師が、綾瀬川の大水で遭難したところを助けて自宅に泊めたそうです。(グリング宣教師が越谷に来られたのには、いくつかの説があるそうですが…)。そこで話を聞き、とても感銘を受けて改宗を決意したと聞いております。その代償として、親戚づきあいは一切してもらえなくなったそうですが、キリスト教との出会いは曽祖父の人生を豊かなものにしたに違いありません。
 代々農家を営んでいましたので、天気が曇ったり雨の日の日曜日には農作業ができないので歩いて教会へ通ったと父から聞いた覚えがあります。秋のお米の収穫の感謝として12月の中旬にクリスマスのお餅(紅白のお餅で、赤はあんこ入り)を作り牧師館などへお届けしてたこともありました。
 長女はご縁がありキリスト教の学校に進み、神様の御手の中で大切に育てていただきました。私も保護者として、いろいろな活動にご奉仕することが出来ました。
 特に秋の大行事の記念祭では、生徒・先生・保護者が一つとなり、神様に守られながらすべての業がなされる場面を幾度も見てきました。
 娘は医療の仕事に就いたため、なかなか礼拝を守ることはできませんが、神様のお導きによって根底にはしっかりと「神を仰ぎ人に仕える」精神が備わっているように思えます。
 曽祖父が神様に出会ってから137年余り、繋いでいくものとしては心細いところがいっぱいですが、自分のやれる範囲で「人のため、世のため」に祈り、働ける人でありたいと思います。両親から私が受け継いだように、子どもたちへも上手くバトンを渡していけたらと願うばかりです。
(あかでがわ きよこ)


日常と聖書と
清水 泉
 今年の4月に越谷市の「パートナーシップ宣誓制度」が施行されました。第一号となる彼女たちの届け出に立ち会うことができました。
 パートナーシップ宣誓制度は2019年12月の議会で決議されました。内容はお互いを人生のパートナーとし、日常の生活において協力し合うことを約束したカップルがパートナーシップ関係にあることを市に宣誓する制度です。市は宣誓した事実を証明する宣誓書受領証などを交付します。法的効果はありませんがパートナーシップ関係という事実を対外的に証明するものとして、性的少数者の困難や生きづらさの軽減につながることを目指すものとしています。
私の今までの常識からすると、学業を終え社会に出て、出会いがあり結婚する。その相手は寸分たがわず男性と思っています。
 このご時世晩婚化しているとはいえ、一人でいる以外に同性と結婚するという選択肢は私の中にはありませんでした。
 しかし彼女たちは『ずっと一緒に居たい』というのです。
 ここでふと気づいたのが聖書の中のマルタとマリアの箇所です。主が語られる傍にマリアはぺたんと座り話をじっと聞いています。マルタはマリアを見てイラっとしたであろう。『主が来られているのに何もお出ししないの?何をしているの?客人が来たのならおもてなしをするのが当然でしょう』と。しかし主はそのままにとおっしゃる。
 ここの箇所は母が大好きでよく語っていました。女性解放とも受けとっていました。家の女性は家事炊事をこなす人。いつでも客人をもてなすことが良しとされていました。普通はそうでしょと思うことを主は否定されました。台所から解放してくれた、固定観念を打破するくらいのことだと母は捉えていました。
 市役所に行く前にランチを彼女たちと共にしました。その時の会話が印象的で「私は○○さんの水回りの使い方がすごく綺麗。そこが私と似ていると思うの」 「そうお?普通に使っていたけどね」。私の目の前にいる彼女たちは日常の普通の会話をしていて、本当にとても幸せそうで仲睦まじい姿でした。彼女たちを見ていると、私の中の固定していた考えが溶けていくようでした。
 性的少数者の方たちは入院時には家族でないということで面会や手術の重要説明を断られたり、賃貸借家を断られたりと生きづらさを抱えています。その人たちに必要なことは一緒に声を上げて応援していくことだと思います。
 日常の中に疑問や試練があり、その答えは聖書の中にあると思います。
(しみず いずみ)

越谷教会月報みつばさ2021年9月号特集
「伝道の秋」より



特 集