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雲見 昌弘
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コロナ禍で日常生活は一変。常にマスクをして他人との距離をとり、不要不急な外出を避けるという極度に緊張を迫られる生活が続いている。それも1年半以上になる。若い世代の中にはそんな生活に耐えられなくなり、連休には付近の路上に座り込み飲酒している風景も報道された。誰がこんな生活を想像していただろうか。正に失ってみて初めて分かる日常のありがたさだ。
教会でも然りである。讃美歌は1番のみ、集会は必要最低限に限られ会員同士の交わりは極度に制約される。しかし日常的に外出が制約されているのでせめて教会だけでもと思い礼拝には出席する。礼拝そして礼拝後の僅かな交わりの時が大切に感じられる。
退職後は大いに楽しもうと「へぼゴルフ」「ザル碁」に興じ、それなりに楽しみ今もゴルフと囲碁は続いているが脳梗塞の発症もあり回数は激減した。健康維持と脳の活性化にはいいと思うが成績もひどく、何よりも勝ち負けを競うことが苦痛になってきた。そろそろ引退を考えているがその勇気がない。友人との繋がりがなくなることが怖いのだ。それでも日頃から接している友人は確実に減りつつある。その一方で妹たちとの交流は増えている。お互いが所属する教会のコロナ禍に対する対応状況、家族の様子、読書情報などが主な話題だ。人との交流も親族が中心になりつつある。これも自然の流れか。
5月下旬に三女が1年半ぶりに我が家を訪れた。コロナ禍でお互いに往来を控えているが休暇が取れたとのこと。その娘が開口一番「としとったね」。普段から思ったことを率直に口にする娘だがこれはショックだ。老いは感じてはいるが面前で言われるとかなりこたえる。娘が持参した弁当を一緒に食べたが、これがなかなかの味だ。途中下車し東京駅に立ち寄り某デパートで購入し持参したとのこと。いつもは餅入りのうどんかラーメンだが久しぶりに本物の味を堪能した。
娘が突然切りだした。「エンディングノートは作っているのか」と。まだ細かくは作成していないと応じると、「いつ何が起こるかもしれないから作っておけ」という。というわけで急遽エンディングノートを作成する羽目になった。
感染症は突然やってきて世界を右往左往させる。これは人類の横暴に対する神様の警鐘かとも考える。十年、いや百年後に神様の真意がわかるかもしれない。
遅まきながら首都圏でもワクチン接種が始まった。この拙稿が皆様の手元に届く頃には、お互いが「ワクチン接種終わったよ」という挨拶で教会に集いたいものだ。
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(くもみ まさひろ)
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岡林 信雄
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苦難の原因(もと)は誘惑の様です。誘惑は人間的には満足感や傲慢な心を刺激し、誘われてしまいます。マタイによる福音書4章によると、イエス様も悪魔の三つの誘惑を受けられました。イエス様はこれらの誘惑に対して旧約聖書の言葉で最初は、「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」次に、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」。更に、「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」と退けています。
一つ目は幼稚園の薪ストーブの脇で最初の『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』を聞きました。また、二つ目は否教徒の近傍の人から「どうして、病気や、不義不正で私たち善人が不幸な結果を受けるの、神様は居るの?」と言われたり、また私達も伝道の一助として「病気や、不義不正」を取り除く欲求を「御心ならば」を抜いて神様にお願いしています。三つ目は自分の生を守ったり近傍の人との調和のために忖度し『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』をちょっと退けて生活しています。
こんな神の教えに沿わない生き方をしていれば、最後の審判の時に神様に見放されてしまうのではないかと心配です。
マタイによる福音書5章「山上の説教」18章の「兄弟の忠告」を聞いた後でも「だれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」「何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」さらに3度も「知らない」と言ったり、14章での「湖の上を歩く」のところでも、「『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』」と。さらに、イエスの母マリアの従妹でヤコブとヨハネの母サロメは「二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」と20章に記されています、そのほかこのペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人はゲッセマネの祈りの時、寝てしまったりしていましたが、そんな彼らにも・・・。
「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」(マタイによる福音書28章18~20節)。このみ言葉を大切にして彼らの後に繋がり、この連鎖が教会の喜びだろうと思います。
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(おかばやし のぶお)
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越谷教会月報みつばさ2021年7月号特集
「闇の中に光を見た」より
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