今月の特集題
  
-試練と喜び-

復活の光に包まれる喜び




主を否んだにもかかわらず
中村壽美子
 「主を否む」この言葉を聞く度に、私はズキンズキンと胸が痛みます。今までも、これからも数え切れない罪を重ねてゆく人生ではありますが、この二つは決して忘れられない苦い記憶となっています。
 一つは38歳の時。夫の海外転勤が決まって準備で多忙を極めていた頃の事。
 当時、所謂求道中だった私に、幼稚園からのママ友であり教会員であったT姉が、「出発までに受洗出来るように祈っているからね」と仰って下さったのです。その際の私の答えは「ちょっとぉ!今祈らないでくれる?」と言う酷いものでした。こんなに忙しい大変な時に洗礼なんてとんでもないと言うのが本音でした。T姉は「祈らないでなんて言われたの初めてだわ……」と絶句。名をあげて祈って頂く事がどんなに感謝な事なのか、今なら痛い程分ります。でも当時の私には無理だったのです。結局そのまま出発しましたが、神さまの凄さを私はバンコクで思い知らされる事になります。現地の日本語キリスト者集会に導かれて、二年後に受洗することになりました。
 二つ目は十年程前の事になります。
 転勤生活を終えてやっと越谷へ戻りましたが、実家の母の介護の為、頻繁に関西へ通う生活を送っていました。そんな時に思いもよらぬ教会役員に選出されてしまったのです。当時の自分にはとてもお受け出来ないと判断し即座に強い言葉でお断り致しました。「皆で助けるから大丈夫よ」との先輩役員さんのお言葉にもかかわらずです。そして私は神さまと取り引きをしてしまいました。「神さま、今は母の事を最優先する事をお許し下さい。その代わり、出来る時が来たら必ず精一杯お仕え致しますから」と。その後、母を送り、月日は流れて、今また役員に選んで頂き、三年目となりました。主を否み続けた事も、遠回りしないと辿り着けない者だとご存知の主のお計らいであったのかとさえ思えるのです。
 相変らず至らぬ私ですが、今は礼拝をまもり、聖書研究祈祷会に連なり、みことばの養いを頂いて、精一杯ご奉仕出来ますことが、本当に心からの喜びであり、希望であり、感謝でいっぱい、幸せです。
 神さま、ありがとうございます。
 そして、ペトロさん、あなたの気持が少しですが分るようになりました。あの涙は後悔と恥ずかしさと、とらえ続けて離されない主の愛の深さを思い知った感謝の涙だったのですね。み跡に続く者となれますように。
(なかむら すみこ)


振り返ってみたら
一柳 民恵
 「人生の年月は七十年程のものです。
健やかな人が八十年を数えても、得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。」(詩編90編10節)
 最近夫を亡くし、その最後の時を共に過ごさせてもらい、また学ばせてもらいました。
 今は一人自由に過ごさせていただいています。
 近い日に私のその日がやってきますね。枕辺にイエス様がジッと見ておられます。
 家族との別れの時が来ています。ありがとうの言葉は伝えられる内に伝えておこう。
 我が夫はベッドの上から私の頭を撫でて「ありがとう」を云ってくれました。グットタイミングだったね。
 振り返ってみると、私の人生はおもしろかったです。一コマ、一コマはきつくても神様にちゃんと護られていました。
 でも、苦い告白もしておきましょう。
 私は結婚した当時から夫の実家のアパート管理をさせられていましたので、古くなったアパートは利回りも悪いし、今後相続対策もしなければ・・・と。
 六十代前半に私の野心にささやきがありました「大きな賭けをしてはどうかね・・・」。
 40年近い経験がソロバンだけを片手に私の頭を突き動かしてしまったのです。
 義母を説得して、全て段取り通り、またすんなり順調にことが運んでいるように思えたのです。古いアパートを取り壊し、よしオーケー。
 それが、いざという時に義母は交通事故で亡くなってしまいました。(でもその後無事にアパートは完成しましたが)
 あれはきつかったです。何にも出来ないくせに、その先に何が待っているのかを全く知らないお前は何様か、ひれ伏せ!
 打ちのめされて その通りです 黙らされました。
 夫は母ちゃんっ子で、大好きな母ちゃんの突然の死が受け入れられず思考回路が乱れたのか「お前は嬉々として動いている」と云われました。
 ハ~ッそりゃないでしょ、動かなかったら我が家はストップしてしまうでしょ、てな戦いもありました。
 今この歳になって何人もの方を見送り火葬場でのシーンに立合わせていただきましたが、夫の骨が窯から出てきた時のシーンにはハッとさせられました。
 これが神様の御許に旅立つ姿なのだと深く思わされました。 
(いちやなぎ たみえ)

越谷教会月報みつばさ2021年4月号特集
「復活の光に包まれる喜び」より



特 集