今月の特集題
  
-試練と喜び-

試練の深みに




試練の深みと教会とのつながり
榎本喜美夫
 本稿への題をいただいたとき、どんな形でまとめたらよいのかといささか戸惑った。
 80余年人生を振り返ってみると、いろいろな試練の連続であったなあ、という思いから、個人的な聖書の読み方による感想を述べてみることでご容赦いただきたい。
 聖書の読み方は各人によって異なると思うが、私の場合はとにかく「神様に導かれ、支えられてきた」という思いで読んでいる。これは信仰としての読み方と人生訓・格言みたいな受け止め方とが混在してしまうことになるが、それが凡人であることの所以だ。そんな中で本題に近い聖句として記してみたいのが、詩編とコヘレトの言葉から。
 人の一生については詩編に「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。」(詩編90編10節)
 「すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。」(コヘレトの言葉3章17節)
 「汝の若き日に造り主を覚えよ。」
 「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。」(コヘレトの言葉12章1節)
 振り返ってみても詩編やコヘレトの言葉通り、すべてが神様のご経綸のうちに生かされてきたのだと思わざるを得ない。
 キリスト教との出会いは小学生の頃の日曜学校だった。1945年、わが農村にドイツ人宣教師キュックリヒ先生が戦災孤児を受け入れる寮と教会を設立された。妹が幼児園の一期生として入園したことから日曜学校に通い始めた。地元の高校にバイブルクラスがあり、放課後は教会で過ごすことが多かった。このクラスから小久保達之佑(喜界島・田尻教会)森田弘道(愛泉教会)、影山譲(信濃村伝道所・下田教会)各牧師を輩出している。私は高校2年の時に藤崎五郎牧師から洗礼を授けられた。
 学校卒業後の職場としての選択肢に外国へのあこがれがあったのは、高校時代のバイブルクラス顧問としてのキュックリヒ先生の謦咳に接した影響があった。社会人生活は必ずしも順風満帆というわけではありませんでしたね。職場内いじめ?に類することもあり、忍耐が限界になり降格してもよいのでと転勤をと願い出たこともある(今なら退職させられたでしょう)。振り返ってみるとコヘレトの言葉通り、定められた時がありそれに従って歩みを続けられてきたように思う。
(えのもと きみお)


わが神よ、いつまで、ああいつまでか
舟橋 葉子
 試練というテーマを与えられたので、今世界の試練である新型コロナウイルスとの戦いについて考えたい。日本人にとっても第二次世界大戦以来の大きな試練であるが、地球規模で考えた時には、日本とは全く違う姿が世界各地で見られる。海外の人たちはこれまで、マスクの習慣がない、握手をするハグをする、靴のまま家に入る、などと日本と生活習慣が違うことが、コロナが蔓延する原因のひとつと言われる。先進国であってもそうなので、アフリカに住む人たちはもっと大変なことがある。
 例えば中央アフリカにあるウガンダ共和国では、マスクどころか手を洗うための水がない。病院がないので具合が悪くても簡単に診てもらうこともできない。昨年四月には、朝早く自分の畑を見に行こうとした男性が、警察に射殺されるという事件が起きた。なぜ手を洗うのか、なぜ家から出てはいけないのか、という教育から始めなければならないのである。
 アフリカには、日本の支援団体が多数行っている。まずは手を洗うための水を持ち込む。水道がないので、蛇口つきのバケツ型の水の容器を台の上に置く。石鹸も置き、手の洗い方を絵で説明した紙を貼る。水道の蛇口からいつでも当たり前に水が出て手を洗うことができる日本とは、コロナと戦うスタート地点がまず違っている。
 ウガンダでは長い間内戦が続き、子どもたちは誘拐されて兵士にされた。今は戦争状態はほぼ終わり少年兵の大部分は救い出された。まだ体力もない子どものうちから、銃の扱い方を教えられ、地雷をくぐり命がけで戦ったあとに故郷に戻されても、心や身体の傷はなかなか回復しない。それまで学校にも行かれず、生活のための仕事を覚えるチャンスも与えられなかったので、せっかく故郷に戻ったのに自宅から出るなと言われたら生きていくことができない。
 そういう人たちへの支援は、まず水や石鹸を届けること。薬を届けること。医者を派遣するだけではなく、医者になれる人を援助して教育する。衣類を自分で作れるようにミシンの使い方を教える。支援する日本人がいなくなっても、自分たちで生きていく力をつけるのが最終的な目的である。
 日本からの支援が遠い国の人々の未来を作る礎になることを祈りたい。
 補足だが、本稿のタイトルはバッハの教会カンタータ155番から拝借した。魂(ソプラノ)とイエス(バス)との対話で「不幸があまりに多すぎます。私には終わりが見えません」と歌われるが、終わらないでと思うほど美しい旋律である。

参考・認定NPO法人テラ・ルネッサンス
 
(ふなはし ようこ)

越谷教会月報みつばさ2021年3月号特集
「試練の深みに」より



特 集