今月の特集題
  
-試練と喜び-

あの確信があって今が




ささやかに生きる
中村 晴洋
 私は今まで勝手気ままに生きてきましたが信仰をもってから、多少規則正しい生活を心がけております。毎週日曜日の朝、教会の第一礼拝で清冽な空気と静かな雰囲気の中で祈り、素晴らしい一週間の始まりとしております。
 週日は、地下鉄人形町まで通勤しておりますが、朝6時頃の電車で座って聖書を読みます。越谷から北千住ぐらいまでは集中力が続きますが、年のせいか、その後人形町までは、寝てしまうことが多くなってきております。7時前に人のいない事務所に入り、工事現場で働く職人さんの安全やご家族の健康などを中心にお祈りいたします。
 帰りの電車や、空き時間などを利用して、信仰に関する本をよく読みます。最近では「聖書をひらく」(富岡幸一郎著)を読み終え、NHKで放映された”それでも生きる旧約聖書「コヘレトの言葉」”(小友聡著)を読んでおります。
 信仰を持ってから私が今までとどう変化したかを問われると、心苦しい面が多々ありますが、第1に世間体や他人の評価をあまり気にせずにマイペースで生きていけているとの実感はあります。最終的には神様が見てくれているとの思いで生きられることは、大変ありがたいことです。
 第2に生きる規範がはっきりし、善悪の判断に誤りが少なくなったように思います。世間の常識では良いことも、聖書ではだめであることもあるし、反対のこともあるように思います。聖書に書かれていることは、到底私には不可能と思われることも多いのですが努力目標と受け取っております。
 第3に今まで自分勝手にわがままに生きて来ましたが、多少とも思いやりと感謝の気持ちを持つように心がけようと思えるようになったことでしょうか。先日、肝臓に水がたまる肝嚢胞で、独協医大病院で手術を受けましたが、手術直前まで本を読み、部分麻酔で意識はありますので手術直後に執刀した医師、看護師さんに感謝の言葉が言えました。担当の医師がおどろいておりました。信仰の力です。
 第4は現在私は77歳になりますが、健康を維持し、ささやかですが仕事をさせていただけているということは神様からの恵みであると感じており、感謝の気持ちでいっぱいです。
 越谷教会の皆様のまさに信仰に生きる方々を拝見し、素晴らしいなといつも感心し、感謝するばかりです。受洗してから2年を経過しましたがまだまだ未熟な信仰生活ですので、皆様には大変申し訳なく思いますが、あまり気ばらずに、むりのない信仰を許していただけたら幸いです。
(なかむら はるみ)


あの確信があって今が
福田 理絵
一、キリストを着る
 私の人生には3度ほど転機がありました。それは、どれも私にとってその時は最悪に近い出来事であり、その体験を通して、自分の無力さを知ると同時に、自分が何により頼んでいるかを思い知らされました。
 家族や友人との別離や、大切にしていた事柄の崩壊などを体験して、人に対しても、物事に対しても、握って失うことの不安や恐れからか深く関わることが難しくなりました。そして、自分の心の中に無意識に別の世界を設けて逃避して生きている時が何年もありました。
 自分の人格や性格がいくつかに分かれているような感覚がいつもあり、本当の自分がわからなくなっていました。
 今まで当たり前のように自分自身を支えていたアイデンティティーを失う時に、本当に何もない、無力な自分、何もまとっていない自分が現れ、その無力で裸のままの自分を落ち着かせようと、少しでも自分を温めようとトライしてどれも似合わないように感じる心の状況が続きました。
 だからと言って深い自己嫌悪や孤独感があるわけでもなく、半分人生諦めてるような、広い海をいかだに乗って漂流しているような、振り返ったり、悲しんでもしょうがないと、せっかく生きるなら前向きに楽しんで生きようと思い始めました。
 私自身には誇れるものは無いですが、誇れるとしたら自分の内には神様がいて、私は神様の子どもであり、私の問題や状態や状況によらない神様の無条件の愛が注がれることにより、平安と喜びや愛が内側から湧き上がって来ることです。
 その与えられた愛や平安で今度は自分が祝福を流す者へなりたいと願います。
 今では、日曜日の礼拝や毎日の仕事や関わりを通して、神様の祝福や恵みをたくさん体験させて頂いています。このようにして、越谷教会に参加させて頂き共に礼拝や御言葉の恵み、分かち合いの恵みに与かれる幸いを感謝いたします。
二、陶器師なる神様
 神様は陶器師だ。私のでこぼこを色々な方法で削られます。目に見えては何も凹凸がなく、普通と言うか、平凡な性格をなぜに取り扱われるのか私にはなぞです。
 きっと、みんなそうなのかもしれません。
 毎日の出会いや出来事を通して、自分でコントロール出来ないことなどを通して、仕事なら「なぜこのタイミングでへまするのか」「決めなきゃいけない時になぜ決められないのか」など、そのかっこ悪い自分を受け入れつつ砕かれていきます。
 自分の内に隠れている生意気な気持ちとかクラッシュされます。
 しかし、その中で自分の硬い自我や尖った心に気づかされ柔らかくされていることに気づきます。
 み言葉に「試みにあう時にこの上なく喜びなさい。・・・」とありますが、大きな試みも日常レベルの小さな試みも自分を造り変え、練り直させる神様の愛だと分かります。そして、練られるのも、造られるのも自分自身のためでなく、神様のためであり、他の人を祝福するためだと気付かされます。
 「全てのことを感謝しなさい。」のみ言葉が心に響きます。
 感謝を込めて
(ふくだ りえ)

越谷教会月報みつばさ2021年2月号特集
「あの確信があって今が」より



特 集