今月の特集題
  
-試練と喜び-

闇の深みに




不安と孤独の中で
山川 昌子
 私共夫婦は結婚して早60年の年月がたちました。神様は、私共夫婦に4人の子どもを授けて下さり、子ども達も、それぞれ家族を支え、私共の近隣に住んでおります。私達夫婦は、末娘夫婦と3匹の猫と、大林で静かに暮しております。
 先日、はじめて、みつばさの原稿をたのまれ、軽くお受けしましたが、最近はスマホで用事がたりますので、改めて文章を書く事の難しさを感じています。
 「みつばさ」を通して神様との交わりの時を聖別し、静かに時間をかけて語り合う今、私がその恵みに授かっている。
 何と幸せな時なのでしょうか。
 赤線だらけの聖書を開き、しばし思いをめぐらしました。赤線のあるみことばに、「アーメン」としながらも、どれほど神様に感謝したのだろうか、又、どれほど神様を悲しませるような歩みをして来た事だろうか。詩編121編5~7節を何度も読み返して神様の真実とご愛を感謝せざるを得ません。神様は弱い私達の小さな信仰をご存知で、信仰の糸を主人の糸と二本にされ、何回も何回も糸を紡いでくださり、倒れそうな時にはみことばをもって支えて下さって、今まで主人と共に信仰を守る事をゆるされ、今、日本基督教団で会員の一人として招かれ感謝でいっぱいです。
 私、今年2月末日、ころんで大腿骨骨折で20日間程入院生活をしました。
 そのせつは、教会の皆様にもお祈り頂き、心より感謝申し上げます。
 3月に入ってすぐ、新型コロナの発症期で面会謝絶のはり紙がはられ、私の場合は、手術の日と手術後、二回の面会しか許されませんでした。
 不安と孤独感、コロナってどんな病気?院内感染はないだろうか、看護師さん達も忙しいのか、呼んでもなかなか来てもらえず、一人でトイレも行けない苛立ち、自分の弱さがむくむくと出て来て、落ちつかない自分にいらいらしてしまう私。
 福音を知る者として、信仰と不信仰が行ったり来たり。こんな私の為に、主は、みずから十字架の道を歩んで下さいました。
 「主よお許し下さい」。これまでの信仰生活の歩みの中で、何回、いや数えられない程、主に許しを請うたことでしょう。
 主は、そのたび、みことばを持って励まして下さいます。「私はあなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪を、かすみのようにぬぐいさった。」(イザヤ書44章22節)。入院中は、祈りの中より励ましと平安を与えて下さいました。
 神が今なお私に苦しみを与えられるのは、私に、祈りを引き起こすためだったのでしょう。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。・・・主のよくしてくださったことを、何一つ忘れるな。」(詩編103編)
 感謝と共に退院することができました。
(やまかわ まさこ)


私の一番うれしかった事
本島 和子
 私が信仰生活六十年の中で一番うれしく神様に感謝した事を書かせて頂きます。
 生まれた時から目が不自由で小学校の時から寄宿舎生活をしていた方とお友達になり、彼女が点字辞書を作る手伝いをした事からです。それから礼拝はいつも隣で守り家迄送る様になり深い付き合いが始まりました。夫婦二人でなにもかも自分達で出来る事はしておりました。ご主人も目が不自由になり殆ど見えませんでした。私が見習う事が沢山あり私の大事な友の一人となり、私が色々かかえておりましたのでいつも相談に乗ってもらうのが常でした。パソコンを教えてもらったのも彼女からでした。その様子は、どっちが目が見えてどっちが見えないのか不思議に思われたと思います。一事が万事そんな感じで私にとって無くてはならない友となりました。
 でも彼女には願いがひとつ彼がクリスチャンになり共に過ごすことでした。何人かの友が祈っておりました。時々彼は礼拝を守る時もあったのですがそれも無くなりました。その様な時彼が食道がんになり余命が宣告されました。その時に訪問看護の先生にお願いして自宅で過ごす事を選択しました。時々彼に会いに行き枕もとで祈りました。友と連れ立って行く事もあり喜んでくれました。
 どの位の年月がたったのか記憶にないのですが、年月が過ぎ彼女から電話があり、病床洗礼を受けると彼が話してくれたと云うのを聞き自分の事の様にうれしくなり神様に感謝致しました。その日何人かの友と一緒に会いに行きました。彼の顔を見たらいままで共に過ごした時間がとてもなつかしくなり涙が出て来ました。又それよりも彼女がどんなにうれしく神様に感謝した事かを思うと余計でした。辻先生、彼と彼女そして友とここにいる事が口では言い表す事の出来ない時間である事に感謝の思いでいっぱいでした。彼女の思いを神様はかなえて下さったこの喜びは何ものにも代える事の出来ないものです。それから彼はまもなく神様のもとに旅立ちました。その顔は病で苦しかっただろうにとてもおだやかな顔をしており今にも呼びかければ笑顔で起きあがる事が出来そうでした。彼女に看病してもらい病院でなく自宅で過ごす事が出来て本当に良かったと思います。
 下谷での信仰生活から越谷教会での信仰生活を守る事が出来、きっと神様は又私に考えつかないプレゼントを下さる事を信じ、これから皆様と一緒に過ごす事を願っております。
(もとじま かずこ)

越谷教会月報みつばさ2020年12月号特集
「闇の深みに」より



特 集